福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第11主日(2016/6/12 ルカ7章36節~8章3節)  


教会暦と聖書の流れ


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 C年年間主日のミサの福音では、ルカ福音書を用いてイエスの活動を追っています。きょうの箇所はガリラヤでの活動中の出来事ですが、この話はルカ福音書だけが伝えています。直前の7章34-35節に、「(あなたがたは)人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人(つみびと)の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」という言葉がありますが、この出来事はその具体例とも言えるでしょう。なお、朗読箇所には短い形(ルカ7章36-50節)もあります。


福音のヒント


  (1) ファリサイ派は、律法と律法学者によるその解釈(=口伝律法)を重んじ、それらを守ることに熱心だったグループです。「ファリサイ」という言葉は「分離する」という言葉から来ているようです。彼らは自分たちを、律法を知らず、守ってもいない一般民衆から分離した者と考えていました。当時のユダヤ人社会の中での宗教的なエリートだったと言えるでしょう。そのファリサイ派のシモンがイエスを招待したのは、イエスのことを「この人は預言者かもしれない」と思っていたからのようです(39節参照)。彼はそのイエスと親しく接したいと願ったのでしょう。イエスがファリサイ派の人から招待を受けた例は他にもあります。ファリサイ派の人々は次第にイエスに敵意を抱くようになりますが、イエスの側(がわ)から誰かを拒絶することはありませんでした。

  (2) 37節「この町に一人の罪深い女がいた」。何の説明もなく「罪深い女」と呼ばれていて、彼女が罪びとであることは町中の人が知っていたようですから、この女性は娼婦のような女性だったのでしょうか。その彼女が、ファリサイ派の家で行なわれた会食の席に入って行き、イエスに近づくというのはどれほど大胆な行動だったことでしょう。彼女はイエスの説教を聞いたことがあったのでしょうか。ただイエスについてのうわさを聞いていたのでしょうか。とにかく自分のどうしようもない状態を救ってくれるのはこの方しかいないと感じていたのでしょう。37-38節「香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。彼女はイエスに対して精一杯の尊敬と愛情を表します。彼女の涙はもちろん、自分の罪深さに対する痛悔の心の表れです。ここでイエスは何もしていません。彼女の思いと彼女の行為をそのまま受け入れて、彼女のするままにさせています。ファリサイ派のシモンにはそれが理解できません。預言者なら、こんな罪深い女性を受け入れるはずがない、と彼は考えたのです。

  (3) 41-42節の短いたとえは、なぜイエスが彼女の行為を受け入れているかを示しています。罪のゆるしが借金の帳消しにたとえられる箇所は他にもあります。マタイ18章23-35節には、主人から莫大な負債を免除されながら、仲間のわずかな負債をゆるさない僕(しもべ)のたとえがあります。主の祈りの中で「わたしたちの罪をおゆるしください」というときの「罪」と訳された言葉も、本来「負債」を意味する言葉です(マタイ6章12節)。
 人は罪を犯したとき、それを神に対する負債のように感じます。なんとかそれを自分の力で清算したいと願いますが、実はそれは不可能です。罪のゆるしとは、どうにも返すことができない借金を帳消しにしてもらうようなことです。なぜ神は人の借金を帳消しにするのか、その理由はここではただ一つ、「返す金がなかった」(ルカ7章42節)からです。罪のゆるしとは、借金で首がまわらず、そのままでは生きていけない人間をそれでも神が生かそうとすることだと言うことができるでしょう。
 
  (4) ファリサイ派の考えでは、借金はきちんと返すべきであり、罪は償うべきものでした。自分たちも罪を犯すが、それは償いのわざによってちゃんと清算している、と思っていたのです。しかし、イエスの目の前にいた多くの民衆にとって償いをきちんと果たすことは不可能でした。この女性はなおさら負債を返すあてなどありませんでした。そこで彼女は最後の希望をイエスに賭けたのでしょう。人は神に対する借金を返すことはできません。そして、それでも神はその罪びとを拒否するのではなく、その人を愛し、受け入れ、生きることができるようにしてくださる、これがイエスのもたらした罪のゆるしのメッセージでした。人が神とのきずなを取り戻し、人と人とが互いに兄弟姉妹としてのきずなを取り戻すことこそが父である神の望み。シモンにそれは伝わったでしょうか?

  (5) 新共同訳聖書は47節を「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」と訳していますが、直訳では「この人はわたしに大きな愛を示したから、その多くの罪はゆるされている」です。文脈から言えば、新共同訳のようにとるのが自然でしょう。イエスはこの後48節で「あなたの罪は赦された」と宣言します。物語の流れでは、女性の愛の行為が先にあり、最後にイエスのゆるしがあるというように見受けられますが、本当は彼女の行為を受け入れたイエスの姿の中に、すでにゆるしが存在していたと言うべきでしょう。わたしたちはこの神の(イエスの)ゆるしをどのように受け取っているでしょうか、そしてどのようにそれに応えようとしているでしょうか?
 なお、8章2節の「七つの悪霊」とは、マグダラのマリアが多くの病気を抱えていたことを表す表現のようです。7章の「罪深い女」と8章の女性たちの誰かを同じ人だと考える根拠はありません。ただ、イエスの時代の女性たちは心と体にさまざまな苦しみを抱えていました。彼女たちにとって、イエスの存在と行動は大きな救いとなったに違いありません。




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聖書朗読箇所

第一朗読 サムエル下12・7-10、13


 7〔その日、〕ナタンはダビデに向かって言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、8あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。9なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。10それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』
 13ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。」


第二朗読 ガラテヤ2・16、19-21


 16〔皆さん、〕人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたち〔は〕キリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。19わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。20生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。21わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。


福音朗読 ルカ7・36-8・3


 7・36〔そのとき、〕あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。37この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、38後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。39イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。40そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。41イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。42二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」43シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。44そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。45あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。46あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。47だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
 8・1すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。2悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、3ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。


Posted on 2016/06/03 Fri. 21:30 [edit]

category: 2016年(主日C年)

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