福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第17主日 (2016/7/24 ルカ11章1-13節)  


教会暦と聖書の流れ


 ルカ福音書のエルサレムへの旅(神の国について語り続ける旅、十字架を経て天に向かう旅)の段落の中の箇所です。「祈り」についての教えですが、イエスの時代のユダヤ教の各グループには、それぞれのグループの特徴を表す典型的な祈りがあったようです。ルカはこの「主の祈り」をイエスに従う者の生き方を表す祈りとして考えているようです。


福音のヒント


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 (1) 「主の祈り」は新約聖書の中に2つの形で伝えられています。この箇所と、もう1つはマタイ6章9-13節です。イエスが教えた1つの祈りが繰り返し唱えられ、アラム語からギリシャ語へ翻訳されていく中で、2つの形になったと考えられます。
 大切なのは、わたしたちがこの祈りをどのような思いで祈っているか、この祈りがどのようにわたしたちを支え、導いていてくれるかということでしょう。
ただ、主の祈りの言葉はけっして分かりやすいとも言えませんので、ここではいくつかの言葉を簡単に解説しておきます。
この祈りの最大の特徴は、「父よ」という単純な呼びかけです。マタイにある「天におられるわたしたちの」は礼拝の中で唱えられていくうちに付け加えられた言葉でしょう。「父よ」。これはイエスご自身が神に祈ったときの言葉でした。マルコ福音書のゲツセマネでの祈りでは「アッバ、父よ」とアラム語も伝えられています。「アッバ」は子どもが父親を呼ぶときの言葉です。信頼を込めてイエスは神に向かってこのように呼びかけました。ルカ福音書の中では、十字架のイエスの祈りが印象的です(23章34、46節)。

  (2) 「み名が崇(あが)められますように」は直訳では「あなたの名が聖とされますように」です。「名」は単なる「呼び名」ではなくそのものの本質を表します。「神の名」とは「神ご自身」の意味なのです。イザヤ29章23節のように「人々が聖とする」ととれば、「人々が神を神として認めるようになる」という意味になりますが、エゼキエル36章23節のように「神がご自分の名を聖とする」という意味にもとれます。この場合は、「神が救いの力を示すことによって、ご自分が神であることを現す」という意味になります。
 「み国が来ますように」は「神の心がすべてにおいてすべてとなりますように」ということだと言ってもよいでしょう。マタイ福音書は「み心が天に行われるように地にも行われますように」ということばを付け加えていますが、これは「み国が来ますように」を言い換えたものだと考えることができます。

  (3) 「必要な糧」。「糧」は直訳では「パン」ですが、ここで生きるために必要なすべてを願っています。なお、ルカが「毎日」というところをマタイでは「今日」と言います。
 「わたしたちの罪を赦(ゆる)してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」の祈願はマタイと少し違います。マタイのほうを直訳すると「わたしたちも自分に負い目のある人をゆるしましたから」となります。現在カトリック教会で用いられている訳は、後半が「わたしたちも人をゆるします」となっていて、前半とのつながりがはっきりしないかもしれません。これは「ゆるす」と宣言しているのではなく、「ゆるしてください。そうすれば、わたしも人をなんとかゆるしたいし、ゆるすことができるようになるからです」というニュアンスで受け取ればよいのではないでしょうか。
 「わたしたちを誘惑に遭(あ)わせないでください」は切羽詰まった叫びのような終わり方です。マタイはこれに「悪(悪い者)から救ってください」という言い換えを付け加えて、礼拝にふさわしい形を整えています。「誘惑に遭わせないで」という訳も可能ですが、むしろ「誘惑に陥らせないでください」のほうがよいでしょう。誘惑が来ることは避けられない(ルカ17章1節)、ただその中で、神から離れてしまわないように守ってください、という祈りだと受け取るべきではないでしょうか。

  (4) 5-8節のたとえ話は、「しつように頼む」ことを勧めています。マタイの教会はユダヤ人キリスト信者の共同体でしたから、祈ること自体はよく知っていて、その祈りが表面的・偽善的にならないように教える必要があったのに対し、ルカの教会は異邦人の教会ですから祈りの必要性そのものを教える必要があったのでしょう。そこで「とにかく祈りなさい。神は必ず聞いてくださるのだ」ということが強調されています。9節「求めなさい。そうすれば与えられる…」は有名なことばです。ここで「与えられる」は「神が与えてくださる」の意味です。祈りに魔術的な効果があるというよりも、神が必ず祈りを(人間の叫びを)聞いてくださるということが大切なのです。

  (5) わたしたちの中には、「祈ったら自分の思いがかなえられた」という体験もあるかもしれませんが、「祈っても祈っても自分の願いはかなえられなかった」という体験もあるでしょう。でもそれだけでなく、「祈って自分の思い通りにはならなかったけれど、何かが変わった」という体験もあるのではないでしょうか。13節では「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と言われています。それはどういうことでしょうか。3つのヒントだけ示します。
(a) 聖霊は「神の力」です。祈りの中で与えられるのは神からの力だと言えるかもしれません。その力で困難を乗り越えることができた、という体験があるかもしれません。
(b) 聖霊は「神と人・人と人とをつなぐ力」です。祈りの中で神とつながっていること、人と人とがつながっていることを感じ、励まされたという体験もあるかもしれません。
(c) マタイ7章11節では、「天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」という言葉が伝えられています。自分が思うものとは違っても、結局一番「良い物」が与えられたという体験も、わたしたちの中にあるのではないでしょうか。
 このように「祈りの中で何かが与えられた」「自分が変えられた」という体験を分かち合うことができれば、本当にすばらしいことでしょう。




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聖書朗読箇所

第一朗読 創世記18・20-32


20〔その日、〕主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。21わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
 22その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。23アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。25正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
 26主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
 27アブラハムは答えた。
 「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。28もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
 主は言われた。
 「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
 29アブラハムは重ねて言った。
 「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
 主は言われた。
 「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
 30アブラハムは言った。
 「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
 主は言われた。
 「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
 31アブラハムは言った。
 「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
 主は言われた。
 「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
 32アブラハムは言った。
 「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
 主は言われた。
 「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」


第二朗読 コロサイ2・12-14


12〔皆さん、あなたがたは、〕洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。13肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、14規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。


福音朗読 ルカ11・1-13


1イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。2そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
 『父よ、
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
3わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
4わたしたちの罪を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
 5また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。6旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』7すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』8しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。9そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」


Posted on 2016/07/15 Fri. 14:18 [edit]

category: 2016年(主日C年)

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