福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第21主日(2016/8/21 ルカ13章22-30節)  


教会暦と聖書の流れ


 ルカ福音書はガリラヤからエルサレムに上るイエスの旅の途中にさまざまなエピソードを伝えています(ルカ9章51節~19章44節)。この旅は、神の国を告げ知らせる旅であり、十字架を経て神のもとに向かう旅でした。きょうの福音もその旅の段落の一節ですが、ここから神の国についての豊かなイメージを受け取ることができるでしょう。


福音のヒント


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  (1) 「救われる」(23節)というのは、ここでは「神の国に入っている」(28節)、「神の国で宴会の席に着く」(29節)ということを意味しています。「神の国」とは、「神の愛がすべてにおいてすべてとなること」と言ってもよいでしょうが、それには「すでに始まっている」面と「最終的にいつか完成する」という面があります。ここで問題になっているのは、最終的な神の国の完成にあずかることができるかどうか、ということです。もちろん、それにあずかることができるかどうかは「神の判断=裁き」にかかっています。
 「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」。この問いを発した人は、なぜこんなことを聞いたのでしょうか。「救われるのが少数ならば、そうとうがんばらなければならない、逆に、多くの人が救われるというのなら、まあまあ人並みにやっていれば大丈夫だろう」そのような考えがあったのかもしれません。「入ろうとしても入れない人が多い」というイエスの言葉は、「救われる人は少ない」と言っているようにも聞こえます。しかし、本当にそうでしょうか。

  (2) 「人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く」(29節)は非常に多くの人がそこに受け入れられているイメージです。「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」(30節)は、「人間の考えでは先だと思っている人が神の国では後になり、人間の考えで後だと思っている人が神の判断では先になる」ということです。一方ではものすごい広さがあって、予想もしなかった多くの人がそこに招かれていく、という面と、同時に、入れるはずの(つもりの)人が入れないという面があるのです。神の裁き(判断)は、人間の考えや計算を超えている、ということなのでしょう。「救われる人が多いか少ないか」という人間の「取らぬタヌキの皮算用」は通用しない世界なのです。「戸を閉めてしまってからでは」(25節)ダメだというのは、あくまでも今の生き方が問われるということですが、では、神の目から見て何が本当に良しとされることなのか。これについて、きょうの箇所には明白な答えがないようにも感じられます。

  (3) マタイ7章22-23節 にはよく似た言葉が伝えられています。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心(みこころ)を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名(みな)によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」。
 ここでは、「天の父の御心を行う」という表現が使われていますが、マタイ福音書には、もっと明確な言葉もあります。それは25章31-46節です。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(35-36節)「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(40節)。ここでは、神の裁き=判断の基準は非常に明白です。

  (4) ルカ福音書の中のたとえ話で言えば、やはり「善いサマリア人のたとえ」(ルカ10章25-37節)を思い出すべきでしょう。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」、「わたしの隣人とはだれですか」と問いかけた律法学者に向かってイエスはこのたとえを話されました。律法学者は、神の報いについて人間的な計算をしようとしたのでしょう。しかし、たとえ話の中のサマリア人は、報いを期待して道に倒れていた人を助けたのではありません。彼は「憐(あわ)れに思って」、すなわち「はらわたをゆさぶられた(スプランクニゾマイsplanknizomai)から」助けたのです。
 イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」(37節)と教えましたが、イエスご自身の生き方がまさにこのサマリア人のような生き方だったとも言えます(ルカ7章13節など参照)。古代のある人はイエスを「アウトバシレイアautobasileia(ご自身が神の国である方)」と呼びました。イエスは神の国に入る資格があるというより、イエスの中に神の国がもう実現しているのです。今神の国を生きること、そして最後まで神の国を生き抜くこと。このイエスの生き方は、人間的な計算に基づく生き方ではありませんでした。

  (5) 救われるための計算に基づく行いは、その人の本当の生き方とは言えないでしょう。「自分が救われるために人を愛する」というのも何か変です。わたしたちは、どうしたら今、神の国を生きることができるのでしょうか。
 ルカの今日の箇所では、「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と言われています。これは、「多くの人が来るが、その中の少数しか入れないほど狭い戸口」というニュアンスですが、マタイ7章13-14節には「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」という言葉があります。この「狭い門」は多くの人が見過ごしてしまうほど小さな門、という意味でしょう。わたしたちにとって、狭い門、狭い戸口から入るとはどういうことでしょうか。人間的な見方や打算ではなく、わたしたちの心のもっとも深いところに働きかける神の呼びかけに従うことだと言ったらよいかもしれません。それを「聖霊の導き」と言うのですが・・・。




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聖書朗読箇所

第一朗読 イザヤ66・18-21


 〔主は言われる。〕18わたしは彼らの業と彼らの謀(はかりごと)のゆえに、すべての国、すべての言葉の民を集めるために臨む。彼らは来て、わたしの栄光を見る。19わたしは、彼らの間に一つのしるしをおき、彼らの中から生き残った者を諸国に遣わす。すなわち、タルシシュに、弓を巧みに引くプルとルドに、トバルとヤワンに、更にわたしの名声を聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない、遠い島々に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える。20彼らはあなたたちのすべての兄弟を主への献げ物として、馬、車、駕籠(かご)、らば、らくだに載せ、あらゆる国民の間からわたしの聖なる山エルサレムに連れて来る、と主は言われる。それは、イスラエルの子らが献げ物を清い器に入れて、主の神殿にもたらすのと同じである、と主は言われる。21わたしは彼らのうちからも祭司とレビ人を立てる、と主は言われる。


第二朗読 ヘブライ12・5-7、11-13


 5〔皆さん、あなたがたは、〕また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
 主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
6なぜなら、主は愛する者を鍛え、
 子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
 7あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
 11およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
 12だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。13また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。


福音朗読 ルカ13・22-30


 22〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」


Posted on 2016/08/11 Thu. 09:00 [edit]

category: 2016年(主日C年)

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