福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第23主日 (2016/9/4 ルカ14章25-33節)  


教会暦と聖書の流れ


 この箇所は先週の福音の箇所(ルカ14章15-24節)の続きです。イエスはエルサレムに向かう旅を続けています。それは十字架に向かう旅であり、十字架を経て天に向かう旅でもありました。その中でイエスに従うことが、きょうの福音のテーマになっています。なお、きょうの箇所にある2つのたとえ話は、ルカ福音書だけが伝えるたとえ話です。



福音のヒント


20160826145507200.jpg
  (1) 「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら・・・」(14章26節)というのはそのまま読めば、かなりショッキングな言葉です。一般的には「積極的に憎むという意味ではなく、より少なく愛するという意味」だと説明されています(マタイ10章37節参照)。自分の家族や自分の命を大切にすることは、普通の状況ならば何よりも優先すべきことでしょう。しかしここでは、それ以上にイエスに従うことを優先させよ、と言われています。それはやはり特別な状況の中での言葉だからでしょうか。この福音の場面では、イエスはエルサレムへ向かう生涯最後の旅、つまり十字架に向かう旅をしているわけですから、実際問題、そのイエスに従って歩んでいくことはそれくらい大きな覚悟を必要としたはずです。わたしたちの中に、そのようなギリギリのところでの二者択一を迫られるような体験があるでしょうか?
 また、「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ」(ルカ14章27節)という言葉も、そのような特別な状況の中でこそ切実な意味を持つ言葉かもしれません。

  (2) しかし、もっと一般的な状況の中でもイエスに従うことは、ある意味では「十字架を背負う」ことだと言えるかもしれません。ルカ9章23節には「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という言葉がありました。そこでは「自分を捨て」と「日々、自分の十字架を背負って」が並行して語られています。十字架刑はローマ帝国の処刑方法の1つで、死刑にされる人を最大限に苦しめ、人々に対してみせしめとして殺す残虐な処刑方法でした(それゆえローマの市民権を持つ人には適用されず、主に植民地の、ローマ帝国に対する反逆者に適用されたと言われています)。死刑囚は、自分の十字架を処刑場まで担いで行き、そこで木の上にさらし者にされるのです。そこから考えると、「十字架を背負う」というのは、「苦しみと死」というだけでなく、「自分の利益、名誉、安全を手放し、人からの侮辱さえも受け入れて生きること」を意味していると言えるのかもしれません。これは「日々」の生き方の問題なのです。

  (3) 28節からの「塔のたとえ話」と「王のたとえ話」は分かりにくいかもしれません。たとえ話自体はむずかしくないのですが、33節の「だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない」という結論に結びつけるのはやや唐突だと感じられるのではないでしょうか。2つのたとえ話に共通するのは「まず腰を据えて」(28節と31節)という言葉です。そこに注目するならば、ポイントは「本当にイエスに従う覚悟があるかどうか、そのために一切を捨てる覚悟があるかどうか、前もってじっくり考える」ということになるでしょう。

  (4) ただし、あまりにじっくり考えると、「やっぱりわたしには無理だ」とあきらめてしまう恐れもあります。無理だと感じたらどうすればよいか。これに関して、「もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう」(32節)という言葉が1つのヒントになるかもしれません。「敵」とはだれでしょうか、「和を求める」とはどういうことでしょうか。全体を「神と和解する」という意味にとれば「敵=神」となってしまいますし、「人と和解する」ととれば「敵=人」となり、どちらも違和感があります。しかし、何よりも大切なこととして「神との和解、人との和解」ということが考えられている、と受け取ることも1つの可能性としてはあるかもしれません。なぜなら、「神との和解、人と人との和解」は聖書全体のテーマだと言ってもよいくらい大切なことだからです。ただし、このたとえ話の中で、そこまで考えるべきかどうかはやはり疑問です。ここでは、あきらめて他のことを考えるよりも、やはり「一切を捨てて、イエスの弟子になる」ことが求められていると考えるのが自然でしょう。

  (5) 福音書を読んでいて、特別に厳しいイエスの言葉に出会ったとき、それをどのように受け取ったらよいでしょうか。
 何よりも大切なことは、福音の言葉を祈りの心で受け取ることです。
できるだけ率直に、キリストがこのわたしに語りかけている言葉として受け取ろうとするのです。それは、自分の考えや自分の都合で福音の言葉をゆがめたり、薄めてしまったりしないために大切なことです。そのために、厳しい言葉をあまり割り引かずに、厳しさを厳しさのまま受け取るという姿勢が必要なのです。
 しかし同時に、キリストのすべての言葉は、素晴らしい、本物の喜びへの招きであると受け取ることも大切です。「神が、イエスが命じているから仕方ない」というような受け取り方では、心から応えることはできません。「神は必ずわたしにとって一番良いことをしてくださる」という信頼をもって聖書の言葉を受け取るのです。イエスの招きは、ルカ福音書の文脈で言えば、神の国の宴会への招き(先週のルカ14章15-24節のテーマでした)だと言ってもいいでしょう。そこに招かれている「幸い」を感じたときにこそ、わたしたちはイエスに従うことを自分の生き方として選ぶことができます。もちろん、厳しさも苦しみもあります。人から誤解されたり、拒絶されたりすることもあるでしょう。しかし、自分の選んだ生き方ならば、わたしたちは、どんな人にも、どんなことにも振り回されることがないはずです。
 きょうの福音で本当に問われていることは、わたしたちがイエスに従うことを本気で自分自身の生き方として選んでいるかどうか、なのではないでしょうか。





ダウンロードできます
「福音のヒント(Word)」
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 知恵9・13-18


13「神の計画を知りうる者がいるでしょうか。
 主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか。
14死すべき人間の考えは浅はかで、
 わたしたちの思いは不確かです。
15朽ちるべき体は魂の重荷となり、
 地上の幕屋が、悩む心を圧迫します。
16地上のことでさえかろうじて推し量り、
 手中にあることさえ見いだすのに苦労するなら、
 まして天上のことをだれが探り出せましょう。
17あなたが知恵をお与えにならなかったなら、
 天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、
 だれが御旨を知ることができたでしょうか。
18こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、
 人はあなたの望まれることを学ぶようになり、
 知恵によって救われたのです。」



第二朗読 フィレモン9b-10、12-17


 9b〔愛する者よ、〕年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロ〔は、〕10監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。12わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。13本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、14あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。15恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。16その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
 17だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。



福音朗読 ルカ14・25-33


 25〔そのとき、〕大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。28あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。29そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、30『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。31また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。32もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。33だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」

Posted on 2016/08/26 Fri. 14:34 [edit]

category: 2016年(主日C年)

tb: 0   cm: --

トラックバック

トラックバックURL
→http://fukuinhint.blog.fc2.com/tb.php/639-a15dd273
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

カテゴリ

福音のヒントQRコード

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク


▲Page top