福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第25主日 (2016/9/18 ルカ16章1-13節)  


教会暦と聖書の流れ


 イエスのエルサレムへの旅、十字架を経て天に向かう旅(ルカ9章51節~19章44節)が続いています。この旅の段落の中に、ルカは他の福音書にないイエスの多くの言葉を伝えています。きょうの箇所のたとえ話もルカ福音書だけが伝えるものです。



福音のヒント


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  (1) 1節~8節前半のたとえは、かなり分かりにくいと感じられるでしょう。主人が人に貸したものを管理人が勝手に減額してしまうというのは、普通ならほめられるはずがないことです。なぜ「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」のでしょうか。ただ単に、この管理人の「抜け目のなさ(賢さ)」だけを評価しているということなのでしょうか。そうだとしても「ほめる」というのは少し無理があるように感じられるのではないでしょうか。
 この管理人の行為については、別の見方もあります。1つは、管理人が放棄したものが実は自分の受け取るはずの手数料だったという解釈。手数料を放棄したのであれば、そのこと自体は不正とは言えないことになります。もう1つは、管理人は利息分を棒引きしてやったという解釈です。利息をとって人に貸すことは律法で禁じられていましたが、実際にはどの時代にも行われていました。50バトス貸したときに100バトス貸した、とか、80コロス貸したときに100コロス貸した、という証文を書いておけば、この差額が実際には利息分ということになります。利息分を棒引きすることは主人の利益に反しますが、本来利息を取ること自体が悪だとされているので、主人は文句を言えないわけです。

  (2) たとえ話の結論は、「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい」(9節)です。「不正にまみれた富」は直訳では「不正なマンモン」。「不正によって得たお金」というよりも「神から離れた、この世のものである富」という意味です。お金とどうかかわるべきか、お金をどう使うか、というのが、10節以下でもテーマになっています。「友達を作る」は富を貧しい人に施すことによって、貧しい人の友となり、神がそのことを顧みて、受け入れてくださる、と取ることができるでしょうか。あるいはそうすることによって「神を友にする」とも取れるでしょうか。

  (3) 10-12節で「富について忠実」であることが求められていますが、それはもちろん「富に忠誠を尽くす」という意味ではなく「富を誠実に、正しく扱う」ということです。「忠実」はギリシア語「ピストスpistos」の訳で、「不忠実」は「アディコスadikos」の訳です。adikosは8節の「不正なadikia」と同じ言葉ですが、内容的には結び付きません。ここから見ても、10節以下の教えは、本来、前のたとえ話とは別の教えだったようであり、切り離して考えたほうが良さそうです。13節の「神と富とに仕えることはできない」という教えは、マタイ6章24節(山上の説教の中)にもあり、これも直接12節までとつながっているというよりも13節だけで独立した教えなのだと考えたほうがよいでしょう。このあたりは、「富」というテーマのつながりで、イエスのいろいろな言葉がつなぎ合わされているようです。
 お金との関わり方というのは確かにわたしたちにとっても大きなテーマです。お金に縛られたり、お金に振り回されている現実はだれにでもあるはずです。しかし、わたしたちは、お金がすべてではなく、お金が神ではないことも知っているはずです。10-12節の言葉で言えば、もし、富が『ごく小さな事、不正にまみれた富、他人のもの』だとすれば、何が『大きな事、本当に価値あるもの、あなたがたのもの(自分自身のもの)』なのでしょうか。それは神とのつながりでしょうか、人と人とのつながりでしょうか、自分自身の生き方でしょうか。お金がそれらのものを妨げてしまうと感じられることもきっとあるでしょう。わたしたちの生活の中で、きょうのイエスの言葉をどのような呼びかけとして受け取ることができるでしょうか?

  (4) 1-9節の別の読み方を紹介します。実はきょうの福音のたとえ話は、15章の3つのたとえ(百匹の羊、十枚の銀貨、放蕩息子の父)に直接続けて語られていますが、ここで突然「富」がテーマになるとしたら不自然ではないでしょうか。本来はこのたとえ話も15章同様、「罪のゆるし」がテーマだったと考えてみてはどうでしょうか。福音書の中で「罪のゆるし」が「借金の帳消し」のたとえで語られることがあります。「主の祈り」もそうですし、ルカ7章41-42節やマタイ18章23-34節もそうです。神は借金が返せずにどうにも行き詰まってしまった人間を見て、憐れに思い(スプランクニゾマイsplanknizomai「はらわたする」マタイ18章27節)、何とか生かそうとする――これが「借金の帳消し」の意味であり、神のゆるしなのです。きょうの箇所の管理人は自分の不正によって行き詰ってしまいましたが、その行き詰まりを打開し、なんとか生き延びるために彼がしたことは、主人に負債のある人の負債を勝手に減免してしまうことでした。それは「罪びとである人間が、他の罪びとをゆるしてしまう」ということを表しているのではないでしょうか。さらに、「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」(8節)というのは、「実は、それが神の望みでもあったのだ」ということではないでしょうか。
 ルカ15章1-2節で、イエスは徴税人や罪びとを迎え、一緒に食事をしていると非難されました。非難したファリサイ派や律法学者からすれば、その人々は神が絶対にゆるさないはずの人々でした。だから自分たちがゆるす必要もないのです。しかし、イエスにとっては、人が「罪びと」をゆるし、受け入れることこそが神の心にかなうことだったのです。このように考えると、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」(9節)という結論は、「人が人をゆるし、人と人とが友として和解すること」を勧めていることになります(このように考えると、このたとえ話は10節以下の富についての教えとは関係がないことになりますが)。
 どのような解釈を取るにせよ、わたしたちも本当はどこかで行き詰っていて、絶体絶命のピンチにあると言えるのかもしれません。もしそうならば「その時、この不正な管理人はどうしたか」は何かのヒントになるのではないでしょうか。





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聖書朗読箇所

第一朗読 アモス8・4-7


4このことを聞け。
 貧しい者を踏みつけ
 苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
 5お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。6弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」
7主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
 「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
 いつまでも忘れない。」



第二朗読 一テモ2・1-8


 1〔愛する者よ、〕まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。2王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。3これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。4神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。5神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。6この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。7わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
 8だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。



福音朗読 ルカ16・1-13


 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
 1「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。2そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』3管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。4そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』5そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。6『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』7また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』8主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。9そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


Posted on 2016/09/09 Fri. 16:08 [edit]

category: 2016年(主日C年)

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