福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

王であるキリスト (2016/11/20 ルカ23章35-43節)  


教会暦と聖書の流れ


 教会の暦には、クリスマスの前後に待降節と降誕節、復活祭の前後に四旬節と復活節という特別な期間(=「季節」)があり、それ以外の期間を「年間」と呼んでいます。王であるキリストの祭日は年間最後の主日にあたります。「王」というのは現代日本のわたしたちには馴染みにくいイメージですが、この祭日の本当のテーマは、キリストがすべてにおいてすべてになる、終末における救いの完成ということです。
 王であるキリストのミサの聖書朗読の箇所は年によってずいぶん違っています。いずれもただ単に「キリストが王である」ということよりも、キリストが「普通の人間の王とどのように異なる王であるか」を表す箇所が選ばれています。「王」という言葉にあまりこだわらずに、福音の箇所そのものを味わうようにしたらよいでしょう。


福音のヒント


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  (1) イエスが十字架にかけられる場面です。ルカ福音書の受難物語はマルコ福音書の受難物語をもとにして、ルカ独自の資料・伝承を挿入する形で書かれています。マルコ、マタイでは、イエスとともに十字架につけられた犯罪人が二人ともイエスをののしった、となっていますが、ルカは別の伝承を採用しています。ルカだけは、二人のうちの一人が回心し、イエスに救いを願った、という話を伝えているのです。
 「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(40-41節)。ここにはルカ福音書の受難物語の1つの特徴が表れています。それは、イエスが罪なき方であることを強調することです。ユダヤの最高法院でイエスは「自分を神の子とした」という冒瀆(ぼうとく)の罪(22章70-71節)を着せられ、ローマ総督に対して「民衆を扇動し、皇帝への納税を禁じた」と訴えられました。しかし本当のところ、イエスは無罪なのです(ルカ23章4、14-15、22、47節参照)。ルカは「彼は不法を働かず、その口には偽りもなかったのに・・・」(イザヤ53章9節)という苦しむ主のしもべの姿をわたしたちに思い出させようとしているのかもしれません。

  (2) 「議員たち」はユダヤ人の最高法院の議員たち、「兵士たち」は処刑を担当したローマ人の兵士です。2人の「犯罪人」は十字架刑を受けるほど重大な犯罪を犯した人なのでしょう。35-39節で、彼らがイエスに向かって言ったことはすべて「自分を救ってみろ」ということでした。イエスはそれに何一つ答えません。イエスは自分を救うことができなかったのでしょうか? イエスが神の子キリストとして、人々の救いのためにご自分の命を差し出されたと考えれば、イエスは自分を救うことができたのにあえて自分を救わなかったのだと考えるべきでしょう。もちろん、これが伝統的なキリスト教の見方です。
 しかし、現代のわたしたちが直面している暴力(戦争・テロから身近なところでの暴力に至るまで)の問題から、イエスの受難を見るならば、違う見方が必要になるかもしれません。「自分を救えるのに救わない」ということは、暴力を容認し、被害者が耐え忍ぶことを良しとし、暴力を繰り返させる危険さえあるのではないかという問いもありうるからです。「罪人をゆるすこと」と「暴力を許すこと」とは別の問題です。神の望みは人が暴力から解放され、平和のうちに生きることであるはずです。イエスがご自分に振りかかる暴力をどう受け止めたのか、これは今のわたしたちにとって切実な問いではないでしょうか?

  (3) 「自分を救わない」あるいは「救えない」イエスの姿の中に、「暴力によって苦しむすべての人」との連帯の姿を見ることはできないでしょうか。暴力は人を肉体的に傷つけるだけではありません。暴力は人を孤立無援の状態に追い込みます。イエスも表面的には神から見捨てられ、人からも見捨てられたような姿になりました。暴力のもう1つの作用は、人から力を奪ってしまうことです。確かに十字架のイエスはあらゆる力を奪われて何もできなくなってしまったかのようでした。そういう意味で、イエスはすべての暴力被害者と同じ体験をされたのだといえるでしょう。
 しかし、イエスには特別なことがありました。特にルカ福音書は、イエスが最後まで神への信頼と人への愛を持ち続けた姿を伝えています。イエスは絶望や憎しみに支配されることなく、出会ったすべての人、自分を十字架につけた人々をも愛し抜かれるのです。無力な十字架のイエスの中にこそ、愛と連帯によって本当の意味で暴力に打ち勝ち、暴力の連鎖を断ち切る道を見つけることができるのではないでしょうか。

  (4) 「ユダヤ人の王」(38節)はイエスをローマ帝国に対する反逆者とする罪状です。しかし、福音書はそこにもイエスが「真の王」であることが暗示されていると考えているのでしょう。ところで、きょうの箇所の中で、「王」というテーマはむしろ42-43節の犯罪人とイエスとの対話の中に表れてきます。「あなたの御国においでになるとき」という箇所は、写本によっては「あなたが王権をもって来られるとき」と読むこともできます。「国、王権」と訳された言葉はギリシア語の「バシレイアbasileia」です。この言葉は「王(バシレウスbasileus)」という言葉から来ていて、「王であること、王としての統治、王が治める国」の意味になります。この犯罪人は、自分もイエスも十字架で死を迎えることを知っていますから、このイエスの王国が死を超えて実現すると考えていることになります。その中で「わたしを思い出してください」と願うのです。
 43節「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」の「楽園」は、ギリシア語で「パラデイソスparadeisos」です。70人訳聖書(古代のギリシア語訳旧約聖書)の創世記2章8節では、エデンの園がこう呼ばれています。神と人、人と人との調和に満ちた世界、人が神と共にいる状態(Ⅱコリント12章4節参照)だと言ってもいいでしょう。そして、イエスがそれを約束するのは「今日」なのです! 苦しみのどん底の中で、イエスが共にいてくださることに気づいたとき、そこにもう「バシレイア」が実現している、そこが「パラダイス」になる、と言ったらいいかもしれません。




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聖書朗読箇所

第一朗読 サムエル下5・1-3


 1〔その日、〕イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。2これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」
 3イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。


第二朗読 コロサイ1・12-20


 12〔皆さん、わたしたちは、〕光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝〔しています。〕13御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。14わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。15御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。16天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。17御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。18また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。19神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、20その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。


福音朗読 ルカ23・35-43


 35〔そのとき、議員たちはイエスを〕あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
 39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。


Posted on 2016/11/11 Fri. 07:00 [edit]

category: 2016年(主日C年)

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