福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

待降節第4主日 (2016/12/18 マタイ1章18-24節)  


教会暦と聖書の流れ


 クリスマスの直前の主日には、イエスの誕生に直接関係する福音書の箇所が読まれます。今年(A年)の箇所はマタイ福音書で、幼子の誕生がヨセフに告げられる場面です。
 マタイ福音書は「イエス・キリストの系図」として、アブラハムからヨセフまでの系図を伝えます(1章1-17節)が、16節は「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」となっています。ヨセフとイエスの間に血のつながりはありません。それでもヨセフはきょうの箇所を通して、信仰によってイエスの父としての役割を引き受けていくことになります。


福音のヒント


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  (1) 19節にある「ヨセフは正しい人であったので」ということと「ひそかに縁を切ろうと決心した」ということはどのようにつながっているのでしょうか? 2つの見方があるようです。
 1つは、マリアへの思いやりに満ちた態度の中にヨセフの「正しさ」を見る見方です。自分とは無関係にマリアが妊娠していることを知ったら、ヨセフとしては縁を切るしかない、しかし、ヨセフはマリアを辱めないように「ひそかに」縁を切ろうとした、ということ。
 もう1つは、神への畏敬の念をヨセフの「正しさ」と見る見方です。ヨセフはマリアを信頼していたので、この妊娠に神の介入を感じた、そこで自分はこのことに関わるのにふさわしくないと感じて身を引こうとした、ということ。この考えは、20節の「恐れずに」ともよく合います。

  (2) 「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい」(21節)。「イエス」は旧約聖書で言えば「ヨシュア」という名にあたります。ユダヤ人の間ではよくある名前ですが、マタイ福音書はこの「イエス」という名の中に意味を見いだしています。「ヨシュア(=イエス)」は「主は救い」あるいは「主は救う」という意味なのです。
 上の21節の言葉は、23節で引用されるイザヤ7章14節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」によく似ています。この預言の言葉がイエスにおいて実現したとマタイは見ています。ここで「おとめ」と訳された言葉は、ギリシャ語(マタイ)では「パルテノスparthenos」ですが、元のヘブライ語(イザヤ書)は「アルマー」です。パルテノスは「処女」を意味しますが、「アルマー」は単に「若い女」を意味する言葉です。もちろん、イエスの誕生物語を伝えるマタイも、ルカも「パルテノス」を「処女」の意味で受け取っています。
 マリアが処女でイエスを身ごもった(いわゆる「処女懐胎」)ということにはどんな意味があるのでしょうか。そこにマリアの「清らかさ」を見てきた伝統があります。しかし、ルカもマタイも共通して強調しているのは、その受胎が「聖霊による」ということです(マタイ1章18,20節、ルカ1章35節)。処女であるマリアは人間的には子どもを産むことができないはずですが、そのマリアから子どもが生まれる。そこに、人間の無力さと、その中に働く神の力の対比があざやかに示され、その子どもの誕生(救い主の到来)が人間の力によるのではなく、神の力(聖霊)によるのだということが強調されているのです。

  (3) イエスは新約聖書の他の箇所で一度も「インマヌエル」と呼ばれたことはありません。マタイは「インマヌエル」をイエスの「呼び名」ではなく、イエスの「本質を表す名」だと言っているのです。「インマヌエル」はヘブライ語で「神は我々と共におられる」あるいは「我々と共にいる神」の意味です。マタイ福音書はこの「インマヌエル」の物語から始まり、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28章20節)というイエスの約束で結ばれています。「神が共にいる」、「イエスが共にいる」ということがこの福音書全体のテーマだと言ってよいかもしれません。
 わたしたちはクリスマスを2000年前の一人の男の子の誕生日として祝うのではありません。イエスの誕生(到来)という出来事の意味が今も生きていることを祝うのです。神のひとり子が人類の一員となり、この方において神は「わたしたちと共にいてくださる神」になってくださった、それはどれほど力強い支え・励ましでしょうか。

  (4) この「インマヌエルであるイエス」をわたしたちはどこで見いだすことができるでしょうか。マタイ福音書の中からヒントを探してみましょう。
1. 18章20節「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」
 キリストが信じる者の集いの中にいるという約束です。特に日本のような、周囲を見回してもキリスト信者がほとんどいない社会の中で、同じ信仰を持った人が一緒にいてくれる、キリストの弟子の道をともに歩んでくれる仲間がいる、ということは大きな励ましでしょう。この集いの中にキリストご自身がいてくださるというのです。
2. 26章26-28節「取って食べなさい。これはわたしの体である」「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」
 パンとぶどう酒の形の聖体の中にいるという約束、これも2000年にわたって数多くのキリスト信者を支え、励ましてきたことでした。それは特に困難や苦しみの中で感じられる支え・励ましかもしれません。キリストの死と復活を思い起こし、それに深く結ばれる。キリストと一つになり、キリストを中心として人と人とが一つになる。聖体の前で一人静かに祈る中でイエスに出会う。そのような体験がわたしたちの中にあるはずです。
3. 25章40節「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
 日々出会う人々、特に助けを必要としている人の中にイエスはいる、これもとりわけ現代世界の中で大切なことでしょう。マザーテレサのように、もっとも貧しく、小さい人との出会いの中にキリストとの出会いがある、という体験はわたしたちの中にもあるのではないでしょうか。




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聖書朗読箇所

第一朗読 イザヤ7・10-14


〔その日、〕10 主は更にアハズに向かって言われた。 11 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
12 しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」
13 イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に、もどかしい思いをさせるだけでは足りず
わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
14 それゆえ、わたしの主が御自ら
 あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。」


第二朗読 ローマ1・1-7


1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、〔兄弟の皆さんへ。〕—— 2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。—— 7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。


福音朗読 マタイ1・18-24


 18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ〔た。〕

Posted on 2016/12/08 Thu. 15:49 [edit]

category: 2017年(主日A年)

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