福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第31主日 (2017/11/5 マタイ23章1-12節)  


教会暦と聖書の流れ


 マタイ福音書は、エルサレムの神殿の境内での宗教的指導者たちとの論争に続き、群集と弟子たちに向けた説教の形で、イエスのファリサイ派・律法学者に対する徹底的な批判の言葉を伝えています。マルコ福音書では短い言葉(12章38-40節)ですが、マタイではこの批判は36節まで続く長いものになっています。ルカ11章37-53節にも同じような言葉がありますが、ルカではエルサレムへの旅の途中で出会ったファリサイ派の人と律法学者に向けて直接語られています。マタイは神殿の境内での論争をとおして、イエスとファリサイ派・律法学者との対立が決定的なものとなったことを印象づけるために、これらの言葉をここに置いているのでしょう。イエスの受難は間近に迫ってきています。


福音のヒント


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  (1) イエスの律法学者・ファリサイ派に対する批判は、きょうの箇所では次の2点に要約できるでしょう。「言うだけで実行しない」こと(1-4節)と「行いは人に見せるため」ということ(5-7節)です。
 安息日の律法についての考え方など、イエスの教えとファリサイ派の教えの間には大きな隔たりがありました(マタイ12章1-14節参照)。しかし、ここでは律法学者・ファリサイ派の教えの内容は問題になっているのではありません。むしろ、彼らが「言うだけで実行しない」ことが問題であり、「背負いきれない重荷を人に負わせるだけ」であることが批判されています。それは人々の重荷を共に荷うイエスの姿と正反対だと言えるでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28-29節。A年年間第14主日の「福音のヒント」参照)
 5-7節で問題にされているのは、人からの尊敬を得ようとする彼らの心です。「聖句の入った小箱」は本来自分の心に律法の言葉を深く刻みつけるために、ユダヤ人が祈りのときに身につけたものです(申命記6章8節参照)。「衣服の房(ふさ)」についても、旧約聖書では「それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである」(民数記15章38節)と言われていました。これらを目立たせるのは、人に対して自分がいかに律法を大切にしているかをアピールするためでしかない、というのです。

  (2) 8節からは、直接群集と弟子たちへの戒めとなります。7-8節の「先生(ラッビrabbi)」はヘブライ語・アラム語で教師に対する尊称です。「師(ディダスカロスdidaskalos)」はギリシア語で「教える人」を意味する言葉です。10節の「教師(カテーゲーテース)kathegetes」(先に立って行く人、案内者)もよく似た言葉だと言えるでしょう。その間に9節の「父」についての言葉があります。
 「師」と「教師」は重複しているように感じられます。本来のイエスの言葉は8節までで、9節以降は後の教会の中で拡大された部分だとも考えられます。8節までだけを考えてみると、もともと「先生=師」とは神ご自身のことだったのかもしれません。もちろんわたしたちにとっては、先生が神かイエスかということは大きな問題ではありません。わたしたちは皆「弟子仲間・兄弟姉妹」であり、「先生」とか「父」「教師」と呼ばれてはならない、という戒めに変わりはないのです。

  (3) イエスの批判は、律法学者・ファリサイ派の人々に向けられています。マタイはこれらの言葉を、当時イエス・キリストを受け入れないことがはっきりしてきたユダヤ教の人々への批判として伝えているのでしょうか。もちろん、そういう面もあるでしょう。しかし、むしろ、自分たちキリスト信者の中にも同じ危険があると感じているのではないでしょうか。だからこそ、これらの言葉は、「律法学者とファリサイ派の人々」にではなく、「群集と弟子たち」に向けて語られた言葉になっているのです。
 わたしたちの中に、ここで批判されている「ファリサイ的なもの」がないとは言えません。「自分にできないことを他人(ひと)に要求している」「他人に愛を求めながら、自分には愛がない」「結局、気にしているのは自分が人からどう見られるかばかり」「人生を勝つか負けるかの競争のように感じて、本当に大切な人と人との兄弟姉妹としてのつながりを見失ってしまう」などなど。このような態度は、神と人に対して良くない、というだけでなく、わたしたち自身が良く生きることを妨げているものでもあります。

  (4)  「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(23章11-12節)。しかし、福音書に伝えられているイエスの弟子たちの姿はこれとはかけ離れたものでした。彼らは「だれが一番偉いか」と論じ合い、少しでも人の上に立ちたいと願っていたのです(マルコ9章33-34節、10章35-41節)。わたしたちはどのようにしてそこから解放されていくことができるでしょうか。この11-12節とよく似た言葉は福音書の各所に見られます(マタイ20章26-27節、マルコ9章35節、10章43-44節、ルカ9章48節、14章11節、18章14節、22章26節)が、そのほとんどはイエスの受難と関係しています。イエスの弟子たちが競争心や嫉妬心から解放されたのは、イエスの受難と死が現実になった後でした。「仕える者」「へりくだる者」となられたイエスの受難の姿がわたしたちの心に迫ってくるとき、わたしたちも、父である神の前での兄弟姉妹として共に生きること、教師であるイエスの前での弟子としての平等であること、を心から喜ぶことができるようになるのでしょう。




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「福音のヒント(PDF)」
※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 マラキ1・14b-2・2b、8-10


14bわたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。
2・1祭司たちよ、今あなたたちにこの命令が下される。2abもし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら、と万軍の主は言われる。わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。
8だが、あなたたちは道を踏みはずし
教えによって多くの人をつまずかせ
レビとの契約を破棄してしまったと
万軍の主は言われる。
9わたしも、あなたたちを
民のすべてに軽んじられる価値なき者とした。
あなたたちがわたしの道を守らず
人を偏り見つつ教えたからだ。

10我々は皆、唯一の父を持っているではないか。
我々を創造されたのは唯一の神ではないか。
なぜ、兄弟が互いに裏切り
我々の先祖の契約を汚すのか。
 


第二朗読 一テサロニケ2・7b-9、13


 7b〔皆さん、わたしたちは、〕あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、8わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。9兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。
13このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。


福音朗読 マタイ23・1-12


 1〔そのとき、〕イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。2「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。3だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。4彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。5そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。6宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、7また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。8だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。9また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。10『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。11あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。12だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

Posted on 2017/10/27 Fri. 11:33 [edit]

category: 2017年(主日A年)

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