福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第32主日 (2017/11/12 マタイ25章1-13節)  


教会暦と聖書の流れ


 年間主日のミサの福音朗読で、今年はマタイ福音書をとおして、イエスの活動の歩みを追ってきました。その結びの3つの主日(年間第32、33、王であるキリスト)に、イエスの最後の説教となる3つの箇所 (25章1-13節、14-30節、31-46節)が順番に読まれていきます。この3つの主日は「終末主日」とも呼ばれますが、福音の内容はちょうど終末についての教えになっています。指導者たちと対決した神殿を後にし、イエスはオリーブ山からエルサレムの町と神殿を見ながら、弟子たちに向けて終末についての説教をします(マタイ24-25章)。マルコ13章では、「目を覚ましていなさい」という警告でこの説教は結ばれますが、マタイはこの部分を拡大し、24章45-51節のたとえと25章全体を伝えています。


福音のヒント


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   (1) このたとえ話の背景には、当時のユダヤの村の結婚式の習慣があります。結婚式は夜中に行われました。花嫁は、介添えをする友人たちと一緒に自分の家で花婿が迎えに来るのを待ちます。「10人のおとめ」はこの友人たちです。花婿は花嫁を迎えるために花嫁の家に向かいますが、花婿の到着はしばしば遅れたそうです(図A)。花嫁の家で、花婿と花嫁一行は合流して花婿の家に向かいます。ともし火は松明(たいまつ)のようなものの先に油を染み込ませた布が巻いてあるもので、火を灯しても15分ぐらいしか持たなかったようです。5人の油を持っていないおとめたちは、油を買うために店に寄っていったので遅れてしまうのです。ちなみに婚礼は村にとってのお祭のようなものですから、それが行われる晩はお店が夜中まで開いていたと考えてよいでしょう(図B)。婚宴は花婿の家で行われます。遅れた5人はそこに入れてもらえなかった、というのです(図C)。

  (2) 「結婚」は神と人とが一つに結ばれる救いのイメージとして聖書にしばしば現れます。ここでも花婿の到着と婚宴は、世の終わりの救いの完成を表しています。
 世の終わりについての聖書の教えは、人に恐怖心を植えつけて人をコントロールするようなものではありません。聖書の終末についてのメッセージには2つの面があります。
A) 迫害というような厳しい状況の中で、この悪の時代は過ぎ去り、最終的に神による救いと解放が実現する、という希望のメッセージ
B) 日常的な生活のさまざまな関心事に埋もれてしまう中で、最終的な神の判断(裁き)を語ることによって、今をどう生きるべきかを示す、回心の呼びかけのメッセージ
 マタイ24-25章の説教にもこの両方の面がありますが、25章にはB)の面が強く表れています。「花婿の到着が遅れた」というところに、初代教会の人々の特別な関心が表れています。最初のキリスト者たちは、遠くない将来のイエスの再臨(イエスが再び来て、救いを完成する)を切望していましたが、その再臨は人々が予想したほど早くには来なかったのです。そこで、再臨までの長い期間、「いつか分からないが突然訪れる」その時に向かってどのように生きるか、というテーマが浮上してきたのではないか、と考えられます。

  (3) 13節で「だから目を覚ましていなさい」と言いますが、このたとえ話では10人とも眠ってしまいましたから、言葉の上では少し合いません。「目を覚ましている」というのは「肉体的に目覚めている」という意味ではないのです。24章42節から始まる「目を覚ましていなさい」というテーマは、24章45節から25章46節まで続く長い説教の中で、次第にその意味が明らかにされていきます。ここで「目を覚ましている」ことは、内容的には「油を用意している」ということであるのは明らかです。
 この「油」は何を意味しているのでしょうか。きょうの箇所には「油」についての説明がありません。そこでいろいろな想像をすることができます。Ⅰテサロニケ5章19節「“霊”の火を消してはなりません」などをもとに「油とは聖霊のことである」というような解釈もあります。ただし、このたとえ話だけからそう言い切ることには無理があります。
 むしろ、このたとえ話には本当は説明部分があると考えてはどうでしょうか。続く「タラントンのたとえ」(14-30節)にも説明部分がありませんが、31-46節には、終末の裁きが語られています。そこでははっきりと「助けを必要としている人に対して手を差し伸べるかどうか」ということが問われています。この31-46節が2つのたとえ話の説明部分なのではないでしょうか? 「油」も「タラントン」も「愛」もそれぞれ必要だ、というのではなく、「油を用意している」とは、「タラントンを生かす」とは、結局、「愛する」ということなのだ。そう受け取ることが一番自然でしょう。
 
  (4) このたとえを読んで、「5人の賢いおとめと、5人の愚かなおとめ」ではなく、「油を人に分けてあげない5人の意地悪なおとめと、分けてもらえなかった5人の可哀想なおとめ」の話だと感じる人もいるようです。もちろん、イエスが油を用意していたほうのおとめたちを評価していることは確かです。「なぜ油を分けてあげないのか?」そこにこのたとえ話を理解するヒントがあるのかもしれません。この油は「人に分けてあげることのできないもの」を意味しているのではないでしょうか。たとえば「その人自身の生き方」。親は子どもに良いものをたくさん与えることはできますが、子どもの生き方は最終的にその子自身が選ぶしかありません。誰もその人の代わりにその人の人生を生きることはできない、そういう意味で人に分けてあげられないものがここで問われているのだと言えるのではないでしょうか。




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「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 知恵6・12-16


12知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
13求める人には自分の方から姿を見せる。
14知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
15知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
16知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちに優しく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。


第二朗読 一テサロニケ4・13-18


13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。


福音朗読 マタイ25・1-13


〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕1「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

Posted on 2017/11/03 Fri. 09:41 [edit]

category: 2017年(主日A年)

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