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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第4主日 (2018/1/28 マルコ1章21-28節)  


教会暦と聖書の流れ


 先週の箇所でイエスは神の国の福音を告げる活動を始め、まずガリラヤ湖で4人の漁師を弟子にしました(1章14-20節)。それに続く箇所がきょうの箇所ですが、38節までは時間を追って出来事が進行していき、全部が丸一日の間に起こっています。マルコは、イエスのガリラヤでの活動の様子を、カファルナウムでの典型的な一日を語ることによって伝えようとしているのでしょう


福音のヒント


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(1) カファルナウムはガリラヤ湖の北西岸にある町です。「安息日」は今で言うと、金曜日の日没から土曜日の日没までにあたり、労働を休み、礼拝を行うための日でした。エルサレムのユダヤ人は神殿で礼拝しましたが、地方には町ごとに会堂があり、ユダヤ人はそこに集まって礼拝をしていました。写真は紀元200年ごろに建てられたカファルナウムの会堂跡ですが、土台部分はイエス時代のものと言われています。
 会堂で説教するために、特別な資格はいらなかったようです。イエスは教え始めます。「律法学者のようにではなく、権威ある者として」とはどういうことでしょうか。律法学者は、律法と口伝(くでん)律法をもって民衆を指導していました。口伝律法とは、昔の律法を今の生活の中でどのように実行するか、についての何世代にもわたる律法学者たちの解釈を集めたものです。「神はかつてモーセにこう命じられた、だからこうしなければならない」というのが律法学者の教えでした。一方、イエスのメッセージは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1章15節)でした。これは昔の聖書の言葉の解釈ではなく、神が今まさに何かをなさろうとしている、というメッセージでした。そこに人々は神から来たまったく新しいもの(=権威)を感じ、驚いたのでしょう。
 
  (2) 「汚(けが)れた霊」とは何でしょうか。「霊」はヘブライ語で「ルーアッハ」、ギリシア語で「プネウマpneuma」と言いますが、これは元来「」や「」を意味する言葉です。古代の人々は人間の力を超えた、目に見えない大きな力を感じたときに、それを「ルーアッハ、プネウマ」と呼んだのです。その力が神から来るものであれば「聖霊」ということになり、神に反する悪い力であれば「汚れた霊=悪霊」ということになります。
 この悪霊が人のさまざまな病気を引き起こすと考えられましたが、特に精神疾患のような、他の人とのコミュニケーションができなくなるような状態が「悪霊に取りつかれている」と考えられました。聖霊が「神と人、人と人とを結びつける力」だとすれば、悪霊は「神と人、人と人との関係を断ち切る力」だと言うこともできるでしょう。
 事実、この箇所で悪霊はイエスとの関係を拒否します。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」(24節)は、直訳では、「ナザレのイエス、我々とあなたの間に何(の関係があるのか)?我々を滅ぼしに来たのか?あなたが誰かは分かっている、神の聖なる者だ」となります。神から来たイエスとの関係を拒否することが、悪霊の悪霊たる所以(ゆえん)なのです。
 イエスは悪霊を沈黙させます。神との関係を拒否しているのは、目の前の人の本当の部分ではなく、何かしらその人を神と人から引き離そうとしている力だとすれば、その力を自由にさせておくわけにはいかないのです。イエスは悪霊を問題にしているのではなく、「悪霊に取りつかれている」と考えられていたその人自身を見ているのではないでしょうか。結果として起こったことは、その人が人との普通の交わりを取り戻し、神とのつながりを取り戻したということだったはずです。

  (3) このような見方は、あまりに現代的な解釈だと思われるかもしれません。イエスが悪霊を追い出したということをもっと素直に、そのまま受け取ってもいいのかもしれません。しかし、イエスが「悪霊」という実体のあるものを退治したように受け取ると、科学文明に生きる現代人には、『エクソシスト』の映画のような、特異な超常現象の世界としか感じられない恐れがあります。古代の人にとって「汚れた霊=悪霊」はもっと身近なものでした。現代人は、人間がほとんどの現象を理解し、コントロールできると考えますが、古代の人にとって、人間の理解や力を超えたものは周囲にたくさんあったのです。
 現代のわたしたちにとって、悪霊とはなんでしょうか? わたしたちの周りにも「神と人、人と人との関係を引き裂いていく、目に見えない大きな力」が働いていると感じることはないでしょうか。神への信頼を見失い、人と人とが支え合って生きるよりも一人一人の人間が孤立し、競争に駆り立てられ、大きなストレスが人に襲いかかり、それが最終的に暴力となって爆発してしまう・・・そんな、一人の人間ではどうすることもできないような得体(えたい)の知れない「力」が悪霊だと言ってもいいのではないでしょうか?

  (4) 27節の「権威ある新しい教えだ」という人々の驚きの言葉は、22節とよく似ています。人々はイエスの教えの内容に驚いただけでなく、この出来事をとおして、イエスの言葉が現実を変える力を持っていることに驚くのです。「神の国は近づいた」というメッセージは、イエスが悪霊に苦しめられ、神や人との交わりを喪失していた人を、神や人との交わりに連れ戻すことによって、もうすでに実現し始めたのだと言ってもよいでしょう。何かの現象を「悪霊の仕業だ」と言ったり、誰かのことを「あの人は悪霊に取りつかれている」と非難しても何も始まりません。むしろ、悪霊に覆われてしまっているような現象や人間の、もっと深い部分にどのように触れ、どうしたらつながりを取り戻していくことができるか。そのことがわたしたち一人一人に問われています。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 申命記18・15-20


 15〔モーセは民に言った。〕あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。16このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。18わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。19彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。20ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」


第二朗読 一コリント7・32-35


 32〔皆さん、〕思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、33結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、34心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。35このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。


福音朗読 マルコ1・21-28


 21イエスは、安息日に〔カファルナウムの〕会堂に入って教え始められた。22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。


Posted on 2018/01/18 Thu. 08:45 [edit]

category: 2018年(主日B年)

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