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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

四旬節第3主日 (2018/3/4 ヨハネ2章13-25節)  


教会暦と聖書の流れ


 四旬節第3~5主日の福音は年によって雰囲気がかなり違います。四旬節の持つさまざまな性格が年毎に表れていると言えます。A年は伝統的な洗礼志願者のための福音(ヨハネ4、9、11章)、C年は回心とゆるしをテーマとした箇所。今年(B年)はイエスの「死と復活」を直接テーマとする箇所が選ばれています。そういう意味で、今日の箇所の中心テーマは「三日で建て直される神殿」すなわち「死んで三日目に復活するイエスの体」です。


福音のヒント


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  (1) マルコ・マタイ・ルカ福音書によれば、イエスはずっとガリラヤ地方で活動していて、生涯の終わりに1度だけエルサレムの都に上り、そこで殺されたということになっていますが、ヨハネ福音書ではイエスは何度もガリラヤとエルサレムを行き来しています。「過越祭(すぎこしさい)」の季節にエルサレムに行くのは自然なことでしょう。ただし、この箇所でわざわざ「過越祭」について言及されているのは、イエスの「死と復活」を暗示するためかもしれません。イエスが殺されたのは過越祭の時でしたし、イエスは死からいのちへと過ぎ越す新しい「過越」そのものだからです。この「過越」はきょうの福音の重要なテーマです。

  (2) 牛や羊や鳩は神殿でいけにえとしてささげられる動物でした。また、当時流通していたギリシアやローマの貨幣は神殿への献金には使えなかったので、イスラエルの伝統的な貨幣に交換してもらう必要もありました。これらの商売は神殿にとって必要なものだったのです。イエスはなぜ彼らの商売を妨害しようとしたのでしょうか。
 ヨハネ福音書ではイエスの活動の初期の話ですが、マタイ、マルコ、ルカ福音書では同じ出来事が生涯の最後に起こっています。そこでイエスは「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」というイザヤ書56章7節の言葉を引用しています(マルコ11章17節など)。イエスにとって神殿は純粋に「祈りの家」であるべきだったので商売を否定したということでしょうか。だとしたら神殿そのものは否定されていないということになります。ヨハネ福音書でも詩編69編10節を引用した「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉が伝えられていますが、これは「あなたの家(=神殿)に対する熱心さでわたしの心はいっぱいになっている」という意味です。少なくとも周囲の人々には、イエスが神殿を大切にしようとしていると見えたのでしょう。

  (3) しかし、ヨハネ福音書では、神殿そのものが過去のものになっていて、イエスと共に新しい時代が始まっている、という面が大切です。その意味で、2章1-11節のガリラヤのカナでの婚宴の話と対(つい)になっています。そこでは古い時代の象徴である「清めの水」が新しい時代の象徴である「ぶどう酒」に変えられました。エルサレムの神殿がローマ軍によって破壊されるのは、イエスの死から40年ほど後の紀元70年のことですが、ヨハネ福音書が書かれた時代から見れば、過去の出来事でした。しかしヨハネ福音書は、イエスが登場したとき、もうすでに石造りの神殿の時代は終わったと見ているのです。
 ヨハネ福音書は奇跡のことを「しるし」と言います(2章11節参照)。奇跡は単なる不思議な出来事ではなく、イエスとはどういう方かを表す「しるし」なのです。しかし、ただ単に奇跡に驚いてイエスを信じる態度は否定されています。三日で建て直される神殿とは、「死んで三日目に復活するイエスの体」のことです。究極のしるしは「イエスの死と復活」だと言ってもいいでしょう。そこでこそ、イエスとはどういう方かが明らかにされるからです。神殿の本来の意味は「神がそこに住まい、人が神と出会う場」です。イエスという方において、特に死んで復活したイエスという方において、神は人と共におられ、人は神に出会うことができる。わたしたちもこの新しい時代に生きています。

  (4) ヨハネが伝えるイエスの言葉「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)の背景には、ゼカリヤ書の結びにある「その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる」(14章21節)という言葉があるのかもしれません。「その日」は救いの完成の日です。なぜ、その日には神殿から商人の姿がなくなるのでしょうか。ゼカリヤ書は直前でこう言います。「(その日には、)エルサレムとユダの鍋(なべ)もすべて万軍の主に聖別されたものとなり、いけにえをささげようとする者は皆やって来て、それを取り、それで肉を煮る」(14章21節)。「鍋」は日常生活の象徴です。その日には、日常生活のすべてが聖化されるので、もはやエルサレムの神殿で行なわれるいけにえの儀式は不必要になる、だからいけにえの動物を売る商人もいなくなる。つまり日々の生活が神との出会いの場になるという預言だと考えられます。これもイエスによって始まった新しい時代の特徴です。わたしたちの日々の生活の中でそれを感じることができるでしょうか。

  (5) 23-25節は何でしょうか。「イエス御自身は彼らを信用されなかった」(24節)の「信用する」は原文では23節の「信じる」と同じ動詞です。ここで「しるし(奇跡)を見てイエスを信じる」という態度が否定的に見られているのは明らかです。奇跡によってイエスを信じても、いつか(特に十字架を前にした時に)人は離れていくであろうということが予告されているようです。この箇所には、もしかしたら3章のニコデモとの対話への導入の意味もあるかもしれません。ファリサイ派の議員であったニコデモは「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできない」(3章2節)と言いますが、彼が本当にイエスを信じるようになったのは、イエスの死の後のことだったようです(19章39節参照)。わたしたちもイエスの死と復活を見つめるように招かれています。




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「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 出エジプト20・1-17


 1〔その日、〕神はこれらすべての言葉を告げられた。
 2「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
 3あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
 4あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。5あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、6わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
 7あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
 8安息日を心に留め、これを聖別せよ。9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
 13殺してはならない。
 14姦淫してはならない。
 15盗んではならない。
 16隣人に関して偽証してはならない。
 17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」


第二朗読 一コリント1・22-25


 22〔皆さん、〕ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、23わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。


福音朗読 ヨハネ2・13-25


 13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
 23イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。24しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、25人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。


Posted on 2018/02/23 Fri. 08:30 [edit]

category: 2018年(主日B年)

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