福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

四旬節第4主日 (2018/3/11 ヨハネ3章14-21節)  


教会暦と聖書の流れ


 四旬節・復活節の根本的なテーマはイエスの死と復活にあずかることです。ヨハネ福音書はある意味で、すべての箇所がこのテーマを表していると言えるので、この季節によく読まれます。先週の箇所に続き、ヨハネ3章1節からイエスとニコデモとの対話が始まりますが、その中できょうの言葉が語られています。


福音のヒント


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  (1) ヨハネ3章1節で、ニコデモは「ファリサイ派に属する」「ユダヤ人たちの議員であった」と紹介されています。彼はイエスに尊敬の念を持って近づいていったようです。このニコデモとの対話の中で、きょうの言葉が伝えられています。ただし、3章16-21節はイエスの言葉というよりも、福音記者ヨハネの言葉と考えることもできます(聖書のギリシア語本文には「 」のようなしるしはありません)。
 ニコデモには「新たに生まれる」(3,7節)というイエスの言葉が理解できませんでした。この「新たに」はギリシア語ではanothen(アノーテン)という言葉で、「新しく」という意味の他に「上から」という意味もあります。イエスは「上から、すなわち神から生まれること」について語っているのに、ニコデモのほうは「もう一度母親の胎内に入って生まれる」ことだと思っているので、話がかみ合わないのです。自分の努力で一生懸命律法を守ることによっていのちが得られると考えたファリサイ派のニコデモには、イエスが語られる「神からのいのち、神の霊によって生かされるいのち」が理解できなかったようです。

  (2) 「天から降(くだ)って来た者、すなわち人の子のほかには、天に(のぼ)った者はだれもいない」(13節)の「人の子」はもちろんイエスご自身のことです。そして、この言葉は続く14節の「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」とつながっています。「モーセが荒れ野で蛇を上げた」話は民数記21章4-9節にあります。紀元前13世紀、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、荒れ野の厳しい生活に耐え切れず、神とモーセに不平を言いました。その時「炎の蛇」が民を噛み、多くの死者が出て、民はようやく回心しました。「主はモーセに言われた。『あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。』モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(21章8-9節)。古代の人々にとって、蛇は不思議な力を持つ存在で、人間を害するもの=罪や悪のシンボルでもありましたが、同時に、いやしと救いのシンボルにもなりました。この2面性が十字架の2面性と通じるのでしょう。十字架もまた、のろいと死のシンボルでしたが、キリスト者にとっては救いといのちのシンボルになったからです。

  (3) とにかく、ヨハネ3章14節の「上げられる」は、直接には十字架の木の上に上げられることを意味しています。ここにヨハネ福音書の一つの特徴があります。ヨハネは受難の物語を始めるに当たってこう言います。「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13章1節)。ヨハネは十字架のイエスの中に「愛の極限の姿」を見ています。ヨハネにとって「神は愛」(ヨハネの第1の手紙4章8,16節)です。十字架において、イエスはこの「愛である神」と完全に一つになります。だから十字架は挫折ではなく、栄光の時であり、ヨハネ福音書では「十字架に上げられる」ことと「天に上げられる(=神のもとに行く)」ことが一つのことになっているのです。

  (4) 次に、14節から16節をよく見てみましょう。
 14 モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
 15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 16a 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 16b 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
 このように並べてみると、15節と16節bはほとんど同じことを言っているのに気づきます。だとしたら、14節と16節aも同じことを言っているのではないかと考えられます。つまり、「独り子をお与えになった」ということには、ただ「イエスを世に遣わした」というだけではなく、「十字架の死に至るまで与えつくした」という意味のあることが分かります。ヨハネはそこに神の愛の最高の表れを見るのです。

  (5) 18-21節の「裁き」のイメージは大切です。ふつう「裁き」というと「神が人に善し悪しをつけること」と考えがちですが、ここではそうではありません。神は圧倒的に光をもたらす方であって、その光を受け入れないことが(つまり闇の中にとどまることが)裁き(=救われない状態)であるというのです。創世記の1章を思い出します。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた」(創世記1章3-4節)。神はこの闇の世界に、光だけをお造りになりました。闇とは、その光がない状態なのです。
 ヨハネ福音書は、イエスの圧倒的な愛を体験し、ここにこそ、光と救いといのちがある、と確信したところからすべてを語っています。だから、この方を受け入れるか否か(=信じるか否か)に救いのすべてがかかっているのです。ここでは、「客観的に考えてみて、キリストを信じない人は救われるかどうか」というようなことは問題になっていません。根本にあるのは「愛の体験、光の体験」なのです。わたしたちにもそのようなイエスとの出会いの体験があるでしょうか。




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※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。



聖書朗読箇所

第一朗読 歴代誌下36・14-16、19-23


 〔そのころ、ユダの王ゼデキアは主の目に悪とされることを行った。〕14祭司長たちのすべても民と共に諸国の民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した。15先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、16彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
 19神殿には火が放たれ、エルサレムの城壁は崩され、宮殿はすべて灰燼に帰し、貴重な品々はことごとく破壊された。20剣を免れて生き残った者は捕らえられ、バビロンに連れ去られた。彼らはペルシアの王国に覇権が移るまで、バビロンの王とその王子たちの僕となった。21こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。22ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
 23「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、上って行くがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」


第二朗読 エフェソ2・4-10


 4〔皆さん、〕憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、5罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――6キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。8事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。9行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。10なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。


福音朗読 ヨハネ3・14-21


 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕14「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。18御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。19光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。20悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。21しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

Posted on 2018/03/02 Fri. 12:20 [edit]

category: 2018年(主日B年)

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