福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

聖霊降臨の主日 (2018/5/20ヨハネ15章26-27節,16章12-15節)  


教会暦と聖書の流れ


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 聖霊降臨の主日のミサの福音には、毎年同じヨハネ20章19-23節を読むことができますが、ここではB年のための任意の箇所を取り上げます。復活祭から50日目に聖霊降臨を祝うのは、使徒言行録2章(第一朗読)にあるペンテコステ(五旬祭)の日の出来事に基づいています。イエスは復活して天に上げられますが、弟子たちには聖霊が注がれます。弟子たちはこの聖霊に駆り立てられて、福音を告げ知らせ始めました。その意味で聖霊降臨は過越(すぎこし)の神秘の完成であり、同時に教会の活動の出発点なのです。


福音のヒント


  (1) ヨハネ福音書13~16章には、最後の晩さんの席で語られたイエスの多くの言葉が伝えられていますが、その中に、聖霊を送る約束が4箇所あります。14章16-17節、14章26節、15章26節、16章7-15節。この約束は、ヨハネ福音書ではイエスの復活の日に実現しています。「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」(20章22節)。きょうの福音の箇所は15章と16章の聖霊の約束が組み合わされていますが、わたしたちにとっても単なる未来の約束ではなく、すでにわたしたちの中に実現していることとして聖霊降臨の出来事を味わいましょう。

  (2) 「弁護者」はギリシア語で「パラクレートスparakletos」です。「パラ」は「そばに」、「クレートス」は「カレオーkaleo(呼ぶ)」という動詞から来ていて「呼ばれた者」の意味です。裁判のときにそばにいて弁護してくれる人を「パラクレートス」と言ったので新共同訳聖書は「弁護者」と訳しますが、もっと一般的に「そばにいて助けてくれる方」と受け取って「助け主」や「慰め主」と訳されることもあります。
 ヨハネの第一の手紙2章1節には「御父のもとに弁護者(パラクレートス)、正しい方、イエス・キリストがおられます」という言葉があります。これは復活して神のもとに上げられたイエスのことですが、イエスこそが第一の「パラクレートス」であるということができます。そこで、ヨハネ福音書14章16節では聖霊について「別のパラクレートス」という言葉が使われているのです。

  (3) 「真理の霊」の「真理」とはなんでしょうか。真理はギリシア語では「アレーテイアaletheia」と言います。「アレーテイア」の本来の意味は「隠されていないこと」です。ギリシア人にとって、真理とはふつうは目に見えないそのものの本質が明らかにされることだと言えるでしょう。一方、真理と訳されるヘブライ語は「エメト」です。この言葉は「アーメン(確かに)」という言葉と同じ語根で、「確かなもの、頼りになるもの」を表します。ヨハネ福音書の「真理」には「隠されている神のほんとうの姿を明らかにする」というギリシア語的なニュアンスと「本当に確かで、頼りになるもの」というヘブライ語的なニュアンスの両面があると考えられます。
 「ヨハネ福音書における真理とはイエスご自身のことである」と言った人がいます。イエスこそ、神の本当の姿を明らかにした方であり、わたしたちの救いのために本当に確かで頼りになる方であることは間違いありません。聖霊の働きは、何よりも真理であるイエスにわたしたちを結びつけることだと言うこともできます。人間の力を超える何かしら大きな力を感じたとしても、それを聖霊の働きだということはできません。大切なのは、その力がわたしたちをイエスとその生き方(愛)に結びつけるかどうかなのです。

  (4) 15章では「証(あか)しをする」ということが聖霊の役割です。15章18節~16章4節でイエスは弟子たちが受けることになる迫害を予告します。厳しい迫害の中でイエスを証しするのは弟子たちのはずですが、まず第一に「聖霊が証しをする」と言われるのはなぜでしょうか。迫害の中でも人がキリストへの信仰に踏みとどまり、キリストを証しすることができるとすれば、そこには人間の力を超えたものが働いている、それが聖霊(神の霊・イエスの霊)なのだ、ということでしょう。わたしたちが特別な困難に直面したとき、自分の力ではどうにもならないような現実に直面したとき、それでもわたしたちがキリストに従って生きようとすることができたとしたら、それを聖霊の働きと呼んでもいいのではないでしょうか。

  (5) 16章13節で「その方」と訳されている言葉は男性形の指示代名詞ですが、もちろん聖霊のことを指しています。「霊(プネウマpneuma)」はギリシア語では中性名詞なので、中性形の指示代名詞(訳せば「それ」)が使われてもおかしくないのですが、ヨハネはあえて男性形で書いています。これは「パラクレートス」が男性形だからでしょうか。聖霊とは、素朴に言えば「神(あるいは復活したイエス)の目に見えない働き」と言うことができます。しかし、ヨハネ福音書は、単なる「働き」ではなく、弟子たちのうちにとどまり、いつも弟子たちとともにいて、助けてくださる「方」という面を強調して、聖霊について、人格を持つもののように語っているのでしょう。
 ここでの聖霊の働きは「真理をことごとく悟らせる」ことです。「真理をことごとく」と訳された部分は「真理全体」とも訳せるような言葉が使われています。「悟らせる」には「道案内する、導く」という意味の言葉が使われています。イエスはこれまで、いろいろな言葉を語ってきました。しかし、これからは聖霊が弟子たちを導くのです。聖霊の導きは、イエスがこれまで語ってきたことと別のことではなく、イエスが語られたことを、わたしたちにもっと深く理解させ、わたしたちがわたしたちの現実の中でイエスの言葉をどう生きるべきかをはっきりと示すことだと言うことができます。
 「聖霊」を人間の頭で抽象的に理解しようとすることは無理なことです。目に見えない神の働き、復活して目に見えないが今もわたしたちとともにいてくださるイエスの働きが、聖霊の働きなのです。「聖霊」という言葉よりも大切なのは、わたしたちの日々の生活の中に、わたしたちの集いの中に、今も神が、キリストが共にいて、何かをしてくださっているということです。わたしたちは、その働きをどのように感じているでしょうか。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第二朗読と福音はB年のための任意の箇所を掲載しました。各年共通の次の箇所を用いることもできます。
 【第二朗読】 一コリント12・3b-7、12-3
 【福音朗読】 ヨハネ20・19-23

第一朗読 使徒言行録2・1-11


 1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」


第二朗読 ガラテヤ5・16-25


 16〔皆さん、〕わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。17肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。22これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。24キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。


福音朗読 ヨハネ15・26-27、16・12-15


 15・26〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
 16・12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」


Posted on 2018/05/11 Fri. 07:44 [edit]

category: 2018年(主日B年)

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