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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第3主日 (2020/1/26 マタイ4章12-23節)  


教会暦と聖書の流れ


 きょうの箇所はマタイ福音書の中の、いわゆる「宣教開始」の場面です。ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒れ野で悪魔の誘惑を退けたイエスが、いよいよご自分の活動を始めていきます。今年(A年)の年間主日のミサの中では、四旬節・復活節の長い中断(約3ヶ月)をはさんで11月まで、マタイ福音書をとおして、イエスの活動の歩みを思い起こしていくことになります。
 きょうの福音でマタイが引用しているイザヤ8章23節~9章1節は、実は「主の降誕・夜半のミサ」で読まれた箇所です。降誕節のテーマであった「闇に輝く光、神の栄光の現れ(エピファニア)」というテーマは、イエスの活動全体を貫くテーマでもあります。


福音のヒント


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  (1) 「ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」(12節)。ヨハネが洗礼活動をしていたのはヨルダン川の下流、ユダヤに近い地方だと考えられています。洗礼者ヨハネが捕らえられて、イエスご自身も身の危険を感じたのでしょうか、ヨハネの活動の限界を感じたのでしょうか、イエスはご自分の故郷とも言えるガリラヤに戻ってきます。そして、これを契機にイエス独自の活動が始まることになりました。
 「ガリラヤ」について。紀元前10世紀にイスラエルの王国は、エルサレムを中心とする南のユダ王国とサマリアを中心とする北のイスラエル王国に分裂しました。イザヤは紀元前8世紀、北王国がアッシリアに滅ぼされていった時代の、ユダ王国の預言者です。ガリラヤ地方はサマリアのさらに北にあります。イザヤの時代のユダヤ人から見れば、まさに「異邦人のガリラヤ」と呼ぶべき暗闇の地でした(なお、「ゼブルンとナフタリ」は、エジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地に入ったとき、ガリラヤ地方を割り当てられた部族の名です)。イエスの時代のガリラヤ地方は、南のユダヤ人が入植して町を作っていたので、民族的にも宗教的にも南のユダヤ人と結びついていましたが、ユダヤの人々からは軽んじられていました(「ガリラヤから預言者は出ない」ヨハネ7章52節)。マタイはイエスがこのガリラヤで活動を始めたことを神の計画と見ています。復活したイエスが弟子たちに姿をあらわす場所もガリラヤの山です(マタイ28章16節)。見捨てられ、暗闇に覆われた場所、しかし、その中でこそ神の救いの計画が実現し、イエスと出会うことができる場所。わたしたちにとっても「ガリラヤ」と言える場所があるでしょうか。

  (2) 17節の「天の国」はマタイ福音書によく出てくる表現で「神の国」の言い換えです。マタイ福音書は洗礼者ヨハネとイエスのメッセージを「悔い改めよ、天の国は近づいた」(3章2節参照)というまったく同じ言葉で紹介し、2人が唯一の神の同じ1つの計画の中にいることを示しているようです。この「近づいた」(完了形)には「近づいているけれどまだ来ていない」というニュアンスだけでなく、「近づいてもうここに来ている」というニュアンスがあります。2人の違いは、ヨハネが「天の国(=神の国)」の準備の時代の人であったのに対して、イエスが神の国の実現の時代の人だという点です(マタイ11章11節「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」参照)。わたしたちは「み国が来ますように」と祈りますが、イエスによって神の国は何らかの意味でもう始まっているのです。わたしたちにとって、すでに始まっている神の国とはどのようなものでしょうか。

  (3) イエスが最初になさったことは弟子を作るということでした。これもマタイ福音書の結びと対応しているようです。復活したイエスの弟子たちへの命令の中心は「すべての民をわたしの弟子にしなさい・・・」(28章19節)というものでした。イエスの弟子を作るという活動がまさにイエスの活動の中心であったからこそ、同じことがイエスの復活後の弟子たちの活動の中心になるのだと言ったらよいでしょう。
 「わたしについて来なさい」は「わたしの後に」という意味の言葉が使われています。一方「従う」と訳された「アコリュテオーakolytheo」というギリシア語は、ただ「後を歩む」だけでなく「同行する、仲間になる」という意味もあります。もちろん、それは司祭や修道者だけの問題ではありません。キリスト信者は皆、イエスに弟子として呼ばれた者なのです。わたしたち一人一人が弟子として呼ばれていることを感じられますか。イエスの弟子として歩むということはわたしたちにとってどういうことでしょうか。

  (4) きょうの箇所は、イエスが突然誰かに声をかけ、呼ばれた人たちがすぐにすべてを捨ててついていく物語ですが、常識的に考えると少し不自然ではないでしょうか。イエスの弟子とは、イエスの言葉と行動に触れて、イエスに従うことを自分で決断した人たちだと考えるほうが自然でしょう。マタイ福音書がマルコ福音書から受け取った、この最初の弟子の物語はいささか理想化(あるいはパターン化)されていると言わざるをえません(ルカやヨハネは別の形でこの弟子たちとイエスとの出会いを伝えています。ルカ5章1-11節、ヨハネ1章35-42節参照)。普通の師弟関係なら、弟子のほうが「これぞ」と思う先生を見つけて弟子入りを願うものです。しかし福音書の中では、先生であるイエスのほうが弟子を選ぶということが目立っています。「イエスが弟子を選ぶ」ということは、神の選びの根拠は人間の側にない、という聖書特有の考え方に基づいています。人間が神を選ぶのなら、人間の側の選択能力が優れているということにもなりますが、神が人間を選ぶというのは、選ばれた人間が優れているからではないのです。神の選びとは、もっとも弱く、貧しい人を選ぶことによって、すべての人を救おうとするものです。つまり選ばれた側は何も誇ることができないのです(Ⅰコリント1章26‐31節参照)。ペトロやヨハネも後々まで「無学な普通の人」(使徒言行録4章13節)と言われていました。
 ここでは「すぐに」ということと「何もかも捨てて」ということが弟子の理想の姿として描かれています。自分自身のことを考えると戸惑いを感じるかもしれませんが、わたしたちの中にもそんな経験がまったくないとは言えないのではないでしょうか。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 イザヤ8・23b-9・3


8・23b先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
9・1闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2 あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
3彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように折ってくださった。


第二朗読 一コリント1・10-13、17


10兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。11わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。12あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。13キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。17キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。


福音朗読 マタイ4・12-23


 12イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 15「ゼブルンの地とナフタリの地、
   湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、
 16暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
 17そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。19イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。20二人はすぐに網を捨てて従った。21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。22この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
 23イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。


Posted on 2020/01/17 Fri. 09:52 [edit]

category: 2020年(主日A年)

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