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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

主の奉献 (2020/2/2 ルカ2章22-40節)  


教会暦と聖書の流れ


 「主の奉献」の祝日は毎年、主の降誕から40日目にあたる2月2日に祝われます。今年はたまたま主日と重なっていますが、「聖人の祝日」とは異なり、「主の祝日」(主イエスご自身の出来事を祝う祝日)は年間主日に優先して祝われることになっています。教会暦には、主の降誕から起算した祝日がこれ以外にもあります。1月1日「神の母聖マリア」(降誕から8日目)、3月25日「神のお告げ」(9ヶ月前)、6月24日「洗礼者聖ヨハネの誕生」(半年前)がそれです。このうち、四旬節中の「神のお告げ」以外は主日に祝われる可能性があります。
 なお、きょうの福音朗読の箇所は、聖家族の祝日(B年)と同じ箇所です。


福音のヒント


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  (1) この箇所の直前、ルカ2章21節には、「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である」とあります。割礼は、男子の包皮を切り取る儀式ですが、ユダヤ人にとっては、これによって神の民の一員となることを表す儀式でした。旧約聖書には次の規定がありました。
 「妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚(けが)れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない」(レビ記12章2-4節)。
 ですから、22節の「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」とは誕生から40日後ということになります。ところで、この「彼らの清め」の「彼ら」とは誰か、という問題があります。普通に考えれば産婦であるマリアのことですが、なぜ複数形なのでしょうか。ここには、「マリアの清め」と「イエスの奉献」という二つのことが同時に考えられているからでしょうか。
 
  (2) 23節「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」は、出エジプト記13章2節などからの引用です。この「聖別される」は、直訳では「聖なる者と呼ばれる」です。「山鳩一つがいか、家鳩の雛(ひな)二羽をいけにえとして献げる」は、レビ記12章6-8節に基づいています。このいけにえは本来は「一歳の雄羊一匹」と「家鳩または山鳩一羽」ですが、「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合」として鳩だけのいけにえが認めていました(12章8節)。ということは、マリアとヨセフも貧しかったということになるでしょうか。
 とにかく、ヨセフとマリアは律法の規定どおりにすべてを行なったということが何度も繰り返され、強調されています。

  (3) シメオンは正しい人で、信仰があつく、聖霊に満たされています。「慰められること」はギリシア語で「パラクレーシスparaklesis」と言い、元の意味は「そばに(助けを)呼ぶこと」です。ここではもちろん、メシア(救い主)の到来を意味します。
 シメオンは幼子を見て、「主が遣わすメシア」だと確信しました。そして、28-31節で神を賛美し、33-35節でイエスの家族を祝福します。実はこの「賛美する」と「祝福する」は、ギリシア語では同じ「エウロゲオーeulogeo」です。もともとは「よい言葉を言う」の意味で、それが神に向かえば「賛美」となり、人に向かえば「祝福」となるのです。
 救いの光を強調する賛美の言葉に続き、マリアに向けて語られた言葉は、この幼子の将来についての厳しい面を告げています。「倒したり立ち上がらせたり」というのは石のイメージでしょうか。ほんとうに頼りになる「貴い隅(すみ)の石」(イザヤ28章16節)でも、ある人にとっては同じ石が「つまずきの石」(イザヤ8章14節)になってしまうのです。そしてつまずいた人々によって「反対を受ける」ことになります。このイエスの受難に母マリアがあずかり、苦しみを共にすることになる、というのが「あなた自身も剣(つるぎ)で心を刺し貫かれます」という言葉の意味でしょう(ヨハネ福音書はイエスの十字架のかたわらに立つマリアの姿を伝えています。ヨハネ19章25-27節)。

  (4) アンナは女預言者と呼ばれています。彼女の役割は「エルサレムの救いを待ち望んでいた人々皆に幼子のことを話した」ことです。ここで「救い」と訳されている言葉はギリシア語の「リュトローシスlytrosis」で、「あがない、解放」の意味を持つ言葉です。
 身寄りのない「やもめ」は初代教会の中でも、祈りに専念する役割を与えられ、保護されていました。「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」「やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません」(Ⅰテモテ5章5, 9-10節)。アンナはこのようなやもめたちの原型であり、理想像でもあると言えるでしょう。

  (5) シメオンやアンナが高齢者として描かれていることは、救いを待ち続けた旧約の長い時代を感じさせ、その完成の時を印象づけます。また、きょうの箇所で「主の律法で定められたことをみな」忠実に行っていると何度も繰り返されていることも、神の救いの計画を感じさせる表現でしょう。ルカ福音書はこの物語を伝えながら、イエスによる待望の成就、神の計画の実現、救いの時代の到来を表現しようとしているのです。
 同時に、このシメオンやアンナの姿にわたしたち自身を重ね合わせてみることもできるでしょう。29-31節のシメオンの言葉は、「シメオンの歌」(ラテン語で“Nunc dimittis”)と言われて、教会の祈りの「寝る前の祈り」で唱えられています。シメオンの祈りは、イエスとの出会いの中で「安らかに(平和のうちに)」憩うことを願うわたしたち自身の祈りでもあるのです。わたしたちの人生の歩みの中にも、聖霊の導きがあります。その導きによって、シメオンやアンナのようにイエスに出会う喜びを味わうことができるのです。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 マラキ3・1-4


 1〔万軍の主は言われる。〕見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は
 突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者
 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
 2だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。
 3彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、
 レビの子らを清め
 金や銀のように彼らの汚れを除く。
 彼らが主に献げ物を
 正しくささげる者となるためである。
 4そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は、
 遠い昔の日々に
 過ぎ去った年月にそうであったように、
 主にとって好ましいものとなる。


第二朗読 ヘブライ2・14-18


 14〔人は〕血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、15死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。16確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。17それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。


福音朗読 ルカ2・22-40


 22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
 25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
  この僕を安らかに去らせてくださいます。
 30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
 31これは万民のために整えてくださった救いで、
 32異邦人を照らす啓示の光、
  あなたの民イスラエルの誉れです。」
 33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
 36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
 39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

Posted on 2020/01/24 Fri. 12:00 [edit]

category: 2020年(主日A年)

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