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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

四旬節第3主日 (2020/3/15 ヨハネ4章5-42節)  


教会暦と聖書の流れ


 古代から伝わる洗礼志願者のための福音朗読の箇所は3つあります。ヨハネ福音書4章(サマリアの女)、9章(生まれつきの盲人のいやし)、11章(ラザロのよみがえり)です。これらの箇所は、洗礼志願者がイエスとの出会いを深め、信仰の決断をするのを助けるために選ばれた箇所です。現在のミサの朗読配分では、この3箇所がA年(今年)の四旬節第3、第4、第5主日に読まれていきます(なお、ここでは、『聖書と典礼』の短い朗読ではなく、伝統的な長い朗読に基づいて話を進めます)。


福音のヒント


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  (1) ヨハネ福音書を読むときに、物語は単なる出来事の報告ではないということに注意すべきでしょう。ヨハネは一つ一つの出来事をとおしてイエスとはどういう方であるかが現れる、という見方をしています。この箇所では、この出来事をとおして「イエスこそがいのちの水の与え主である」ことが現されるのです。
 そしてまた、この物語は2000年前のどこかの誰かの物語ではなく、「復活して今も生きているイエス・キリスト」とわたしたちとの出会いに気づかせるための物語でもあります。
 福音の舞台はサマリアの町です。サマリアは、紀元前10世紀にイスラエルの王国が分裂したとき、北王国の中心になった地方です。北の人々は、エルサレムを中心とする南のユダ王国と対立し、ゲリジム山に独自の聖所を持ち、後(のち)にサマリア人として民族的にもユダヤ人と分かれてしまいました。この物語の背景には、こういう民族と民族の間の「壁」があります。エルサレムの神殿か、ゲリジム山か、という礼拝の場所の対立は、ユダヤ人とサマリア人を隔てる大きな壁でした。

  (2) もう1つの壁は、男女の間の「壁」です。当時の社会では、男性と女性は対等な人間同士として関わることはできないと考えられていました。女性は男性の性的欲望の対象であり、だからこそ距離を設けて守られるべき存在だと見られていました。道端で男性が見知らぬ女性に声をかけ、立ち話をするということは考えられなかったのです。だから、この女性も弟子たちもイエスが彼女に声をかけ、彼女と話していることに驚いたわけです(9節、27節参照)。
 さらに、この女性と町の普通の人々との間の「壁」もあるようです。「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」(18節)。彼女はイエスにこう言いあてられます。罪びとというよりも、男運に恵まれず、つらい思いを繰り返し、心が深く傷ついている女性と見るべきではないでしょうか。しかし、この町での彼女の評判は決して良くなかったのでしょう。当時、水汲みは女性の仕事でした。女たちは朝や夕方に水汲みに集まり、そこでさまざまな情報交換(文字どおり、井戸端会議)をしました。「正午ごろ」(6節)に水を汲みに来たこの女性は、他の女性たちと顔を合わせたくなかったのではないかとも考えられます。
 イエスはどのようにこれらの「壁」を乗り越えていったのでしょうか。イエスは自らも疲れ、渇く者としてこの女性に出会いました。「イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた」(6節)と言われますが、きょうの箇所の直前に、イエスの活動が誤解され、ユダヤに留まることができなくなったという記事があります(1-4節)。イエスの疲労の原因の一つには、人々の無理解に直面したこともあったのかもしれません。だとすれば、このイエスの姿は、町の人とのつながりを失っていたこの女性の苦しみと通じ合うものがあるとも言えるでしょう。

  (3) 水はいのちのシンボルです。「生きた水」(10,11節)は、ヨハネ7章37-39節では「聖霊」を意味していますが、ここでは「人を真に生かすもの」と考えればよいでしょう。イエスは一方的に、彼女に対して「わたしがいのちの水を与えよう」と言うのではありません。まず、イエスのほうが「水を飲ませてください」(7節)と言って彼女と関わり始めます。イエスの彼女との関わり方には、「あなたも渇くし、わたしも渇く」という連帯性が感じられるのではないでしょうか。この連帯性の中で、男性と女性の間の壁、ユダヤ人とサマリア人の間の壁、評判のよい人と評判の悪い人の間の壁が乗り越えられると言えるのではないでしょうか。
 「霊と真理による礼拝」(23,24節)。霊は「神からの力」であり、真理は「イエスにおいて現されたこと」だと言えるでしょうか。ただし、ここでは、あまり難しく考えず、単純に「真心をもって」と受け取ってもよいのかもしれません。ここにも人と人とを隔てる壁を乗り越える道を見いだすことができるでしょう。

  (4) イエスとの出会いによってこの女性は変えられました。それまで彼女は町の人々を避けてきたのかもしれませんが、イエスに出会った彼女は「水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません』」(28-29節)。この女性はイエスのことを告げ知らせる者になっていったのです。そして、その彼女の言葉を町のサマリア人たちは受け入れ、イエスを信じるようになっていきました。
 27節から、帰ってきた弟子たちとの間で、イエスご自身のミッション(派遣・使命)の話になります。弟子たちは自分たちで食物を手に入れてきましたが、イエスは別なところに弟子たちの目を向けさせます。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(34節)。食べ物も人を生かすもののシンボルです。イエスを真に生かすものは、神からのミッションを生きることなのです。そして「刈り入れ」について語り始めます。ヨハネ4章の中での「刈り入れ」とは、心に傷を負った女性とサマリアの町の人々とイエスとの間で心が通じ合ったということだと言ったらよいでしょう。目の前でもうすでに神の救いの働きが実現しているのだ・・・わたしたちもそれに気づくことができるでしょうか。




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聖書朗読箇所

第一朗読 出エジプト17・3-7


 3〔その日、〕民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」
 4モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、5主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。6見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」
 モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。7彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。


第二朗読 ローマ5・1-2、5-8


 1〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
 5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。


福音朗読 ヨハネ4・5-42


 5〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

 7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」27ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
 28女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
 29「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」30人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
 31その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、32イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。33弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
 34イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。35あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、36刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
 37そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
 38あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
 39さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
 40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」


Posted on 2020/03/06 Fri. 09:49 [edit]

category: 2020年(主日A年)

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