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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第28主日 (2020/10/11 マタイ22章1-14節)  


教会暦と聖書の流れ


 年間第26主日の「二人の息子」のたとえ(マタイ21・28-32)や第27主日の「ぶどう園と農夫」のたとえ(マタイ21・33-43)同様、これも神殿の境内で、当時のユダヤ人の指導者やファリサイ派の人々を前にして語られたたとえ話です。前の2つのたとえ話と同じように、神の国への招きを受け入れなかった人々が批判されています。


福音のヒント


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  (1) ルカ14章15-24節によく似たたとえ話がありますが、ルカでは、エルサレムへの旅の途中、イエスがファリサイ派の人の家に招かれたときの話になっています。ルカの内容のほうがイエスの生前の状況に合っていると言えるでしょう。マタイでは、後の時代の展開に合わせてさまざまな要素が付け加えられているようです。マタイの特徴は次の点です。
 (a) ルカでは「ある人が盛大な宴会を催す」というだけですが、マタイでは「ある王が王子のために婚宴を催す」という話になっています。「婚宴」は聖書の中で、神と人とが一つに結ばれる終末的な救いのイメージであり、マタイはこの点を強調しています。「ある人」が「王」となっているのも、最後の裁き(11-14節)のイメージとつなげるためでしょう。
 (b) ルカでは「招いておいた人々」のもとに僕(しもべ・単数形)が1回だけ遣わされますが、マタイでは複数の僕が2回遣わされています。ここでマタイは、旧約の預言者たちとキリストを信じる教会による2つの呼びかけを考えているようです。
 (c) ルカでは、招いておいた人々が拒否したのを知って、怒った主人はすぐに他の人々を招きますが、マタイでは、人々はただ拒否するだけでなく遣わされた「家来を捕まえて乱暴し、殺して」しまいます。そして、怒った王は「軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」という過激な展開になっています。これは前のたとえ話(先週の福音)の展開とよく似ています(マタイ21章35,41節)。マタイは、紀元70年に起こったエルサレムの滅亡を、キリストを受け入れなかったユダヤ人に対する神の罰のように見ているのでしょうか。だとすると、ここでも先週の話同様、マタイはたとえ話の中に現実の歴史的出来事を読み込んでいることになります。
 (d) ルカではその後、2回の招きがあります。まず貧しい人や障害者が招かれますが、それでもまだ席があるので、主人は「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と言います。これはイエスによる神の国への招きを連想させます。一方、マタイでは1回だけで「善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった」となっています。マタイは教会に招かれた人々のことを考えているようです。
 (e) 11-14節はルカにはありません。これについては後ほど考えましょう。

  (2) このたとえ話の中で、なぜ招かれた人々は来ようとしなかったのでしょうか。マタイでは5節に「一人は畑に、一人は商売に出かけ」とあるだけですが、ルカ14章18-20節では、「最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った」というように、詳しい理由が語られています。彼らは嫌だとは言っていません。でもそれ以上に優先することがあると考えたようです(断る口実を見つけることはいくらでもできるのです)。彼らは結局、招かれたことの素晴らしさ・ありがたさを本当には感じていなかったのだと言わざるをえないでしょう。今のわたしたちは神の招きをどう感じているでしょうか。

  (3) ルカでは貧しい人や障害者が招かれるところに特徴がありますが、マタイは「『見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来た」(9-10節)と言います。ここには、マタイの教会についての見方が反映しているのでしょう。教会とは「良い麦と毒麦」が共存している場(マタイ13章24-30節)なのです。18章でも「迷った羊」である罪びとをいかに取り戻すか、罪を犯した兄弟をいかにゆるすか、ということが大きなテーマでした。マタイ福音書の著者が、徴税人マタイであったということを現代の学者は疑問視しますが、この福音書の著者自身が「自分はゆるされた罪びとである」という意識を持っていたと考えると分かりやすいかもしれません。

  (4) 11節以下で、町の大通りからたまたま連れてこられた人が「礼服を着ていない」といって主人に責められるのはどう考えても不自然です。この礼服のたとえは本来、10節までのたとえとは別の話だったものをマタイが結び合わせたのでしょう。マタイにとって「罪びとも招かれている」ということの素晴らしさは確かです。しかし同時に「この素晴らしい招きにふさわしく応えるか、否か」ということも、決して忘れてはならないもう一つの大きなテーマなのです。
 それはただ単に倫理的に立派な生き方をするというようなことでしょうか。むしろ、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイ5章44-45節)とあるように、罪びとをも愛する神の心に応えて生きることなのではないでしょうか。つまり、ここで言う「礼服」とは、神の愛を受けて人を愛することだと言えるでしょう。マタイ福音書はイエスの最後の説教の中でそのことを明確に示しています。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25章35-36, 40節)。




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聖書朗読箇所

第一朗読 イザヤ25・6-10a


6万軍の主はこの山で祝宴を開き
すべての民に良い肉と古い酒を供される。
それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。
7主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布と
すべての国を覆っていた布を滅ぼし
8死を永久に滅ぼしてくださる。
主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。
9その日には、人は言う。
見よ、この方こそわたしたちの神。
わたしたちは待ち望んでいた。
この方がわたしたちを救ってくださる。
この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。
その救いを祝って喜び躍ろう。
10a主の御手はこの山の上にとどまる。


第二朗読 フィリピ4・12-14、19-20


 12〔 皆さん、わたしは、〕貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。14それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
 19わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。20わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。


福音朗読 マタイ22・1-14


 1〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに 〕たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
 《11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》


Posted on 2020/10/02 Fri. 08:30 [edit]

category: 2020年(主日A年)

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