fc2ブログ

福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

諸聖人 (2020/11/1 マタイ5章1-12a節)  


教会暦と聖書の流れ


 11月1日は諸聖人の祭日で、年間主日と重なるとこの祭日のほうが優先して祝われます。ラテン語で聖人を表す言葉は(複数形では)「サンクティsancti」や「ベアティbeati」です。sanctiのほうは「神の人、聖なる人」の意味ですが、beatiのほうは「幸いな人、祝福された人」の意味です。この日のミサの福音では、マタイ福音書の「山上の説教」の冒頭の箇所が読まれます。8つの「幸い」(ギリシア語複数形で「マカリオイmakarioi」)は、ラテン語ではbeatiと訳されます。聖人とは、まさにこの「幸いな人々」と言えるでしょう。


福音のヒント


1101et.jpg

  (1) きょうの箇所は「8つの幸い(真福八端)」と呼ばれています。マタイ5~7章の長い説教は「山上の説教」と呼ばれますが、その冒頭にこの8つの幸いの言葉があります。山上の説教は、イエスがある時に語った長い説教が記録されていたというよりも、さまざまな場面でイエスの語られた言葉がつなぎ合わされて今の形になったと考えたほうが良さそうです。何のために初代教会の人々は、これらのイエスの言葉を集めたのでしょうか。内容から考えて、これらの言葉は、新しくキリスト信者になった人々に、キリスト信者としての新しい生き方を指し示す言葉として集められている、と考える学者がいます。だとしたら、まず最初に「幸い」という祝福の言葉が置かれているのも納得できるでしょう。
 (今回の写真は、イエスが山上の説教を行ったと考えられるガリラヤ湖のほとりの丘に、それを記念して建てられた教会堂の写真です)


  (2) マタイの「8つの幸い」の前半4つと、よく似ているルカ福音書の「3つの幸い」を比べてみましょう。
マタイ
 5章3節 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 5章4節 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
 5章5節 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 5章6節 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
ルカ
 6章20節 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
 6章21節 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
       今泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる。
 マタイ5章3節とルカ6章20節、マタイ5章6節とルカ6章21節前半は多くの言葉が共通しています。マタイ5章4節とルカ6章21節後半も内容的にはよく似ています。もともと1つのイエスの言葉が伝えられていくうちに2つの形になった、と考えるのが良さそうです。そしてさらに言えることは、単純なルカの形のほうが元の形に近いだろうということです。
 なお、マタイ5章5節の「柔和な人々は」の句はルカにはありませんが、この言葉は、詩編37編11節の引用と言えます。新共同訳聖書で、詩編のこの箇所は「貧しい人は地を継ぎ」と訳されていますが、「貧しい」と「柔和な」はどちらもヘブライ語では同じ「アナウ」という言葉(もともと、身をかがめて小さくなっている様子を表す言葉)です。古代の写本の中には4節と5節を入れ替え、「心の貧しい人々は」の句の次に「柔和な人々は」の句を置いている写本があります。この句はおそらく、イエスの言葉が伝えられていった中のある段階で、「心の貧しい人々は」の句を説明するために挿入されたものでしょう。


  (3) 「貧しい人は幸いである」というと一つの叙述文ですが、原文の語順どおりに訳せば、「幸い、貧しい人々。なぜなら、あなたがたのものだから、神の国は」(ルカ)となります。これは目の前の人に向かって語りかける祝福の言葉なのです(マタイは三人称になっていますが、同様のことが言えます)。この箇所の直前、マタイ4章24節によれば、イエスのもとに集まってきた群集は「いろいろな病気や苦しみに悩む者」でした。このまさに「貧しい人々」に向かって、イエスは「幸い」と呼びかけたのです。
 「貧しい人」「飢えている人」「泣いている人」がなぜ幸いなのでしょうか。それは「神の国(バシレイアbasileia)はあなたがたのもの」だからです。神は決してあなたがたを見捨ててはいない、神は王(バシレウスbasileus)となってあなたがたを救ってくださる、だから幸いなのです。「満たされる」「慰められる」という受動形は、「神的受動形」と言われるもので、実は「神が満たしてくださる」「神が慰めてくださる」という意味です。ここでも同じように神のいつくしみと救いが約束されていますが、これこそがイエスの「福音=よい知らせ」だったのです。わたしたちはこの言葉を、わたしたち自身に向けられた「福音=よい知らせ」として聞くことができるでしょうか。


  (4) 「心の貧しい」は、直訳では「霊に(霊で)貧しい」で、「神の前に貧しい」ことと受け取ったらよいでしょう。マタイは決して物質的な貧しさを無視しているのではなく、物質的な面だけでなく、神の前にどうしようもなく欠乏し、飢え渇いている人間の姿を示そうとしているのだと考えられます。なお、「心の貧しい人」にあたる箇所を、フランシスコ会訳聖書は「自分の貧しさを知る人」と訳し、共同訳聖書(新共同訳の前に作られた翻訳)は「ただ神により頼む人」と訳しています。どちらもかなり大胆な意訳ですが、この言葉を理解するための参考になります。なお、ルカがただ「飢えている人」というところを、マタイは「義に飢え渇く人」としています。ここでもマタイは単なる物質的な飢え渇きだけでなく、神との関係を強調していると言えるでしょう。
 マタイの後半の4つの幸いは、貧しいだけでなく、その中でもっと前向きに生きようとする人々の姿を表しています。それは「憐れみ深い」「心の清い」「平和を実現する」「義のために迫害される」という生き方です。「8つの幸い」というマタイの形は全体としては、単なる祝福ではなく、その祝福の中を生きるとは具体的にどういうことかをも示しているのです。聖人の生き方とはまさにそのような生き方だったと言えるでしょうし、わたしたちもまた、同じ生き方に招かれているのです。(ちなみにルカでは別の発展が見られますが、今回は触れることができません)。 




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第1朗読 黙示録7・2-4、9-14


 2わたし〔ヨハネ〕はまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、3こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」4わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。 9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。


第2朗読 一ヨハネ3・1-3


 1〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。3御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。


福音朗読 マタイ5・1-12a


 1〔そのとき、〕イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
 3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 4悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
 5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 6義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
 7憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
 8心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
 9平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

Posted on 2020/10/23 Fri. 08:30 [edit]

category: 2020年(主日A年)

tb: 0   cm: --

トラックバック

トラックバックURL
→http://fukuinhint.blog.fc2.com/tb.php/857-a0dfaf0b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

カテゴリ

福音のヒントQRコード

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク


▲Page top