福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
待降節第4主日 (2020/12/20 ルカ1章26-38節) 
教会暦と聖書の流れ
待降節第4主日はクリスマスの直前の日曜日で、この日のミサの福音では、イエスの誕生に直接関係する箇所が読まれます。今年(B年)は、ルカ福音書1-2章のイエスの誕生と幼年時代の物語から採られた、いわゆる「受胎告知」(あるいは「お告げ」)の場面です。イエスを身ごもったマリアという一人の女性の中に、神の救いの働きがもう始まっています。
福音のヒント
(1) 28節は「アヴェ・マリアAve Maria」の祈りの冒頭に引用されている言葉です(「マリア」という固有名詞は聖書本文にはなく、後の時代に付け加えられました)。「アヴェ」はギリシア語「カイレchaire」のラテン語訳です。新共同訳が「おめでとう」と訳しているように、「カイレ」も「アヴェ」も祝福の意味を込めたあいさつの言葉として用いられていました。しかし、「カイレ」の本来の意味は「喜べ」です。旧約聖書のゼカリヤ9章9節やゼファニヤ3章14節のギリシア語訳(七十人訳)では、「カイレ」が「喜べ」という本来の意味で使われています。このゼカリヤ書の箇所は有名な箇所です(新共同訳では「喜べ」が分かりにくいのですが・・・)。
「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌(め)ろばの子であるろばに乗って」。
これは救いの到来を預言した言葉で、イエスのエルサレム入城にあたって引用される箇所でもあります(マタイ21章5節など)。シオンはエルサレムの神殿のある丘の名前で、「娘シオン」「娘エルサレム」はエルサレムの町全体(あるいはその住民)を指しています。旧約の預言との関連を考えると、「カイレ」は単なるあいさつではなく、旧約の民が長く待ち望んでいた神の救いが、今、実現していることを感じさせる「喜べ」なのです。
「主があなたと共におられる」は、ギデオンが士師として召し出されるときに天使から告げられた言葉です(士師記6章12節)。モーセや預言者たちの召命の場面では、神ご自身が「わたしはあなたと共にいる」と約束します(出エジプト記3章12節、エレミヤ1章8節など)。弱い人間が神の救いの道具として選ばれるときに与えられる神の力強い助けを表す言葉であり、ここでもマリアに特別な使命が与えられることが暗示されています。
(2) 同じ28節の「恵まれた方」は、原文では「ケカリトーメネーkecharitomene」で、文法的には「完了形受動分詞」です。完了形には「以前からずっと恵まれていて今も恵まれている」というニュアンスがあるので、「聖マリアの無原罪の御宿り」の教義につなげて考えることもできます。また、この完了形にはただ単に「恵まれた方」以上の強い意味があるとも考えられ、ラテン語では「グラツィア・プレーナgratia plena」(「恵みに満ちている」という意味) と訳されています。日本語のアヴェ・マリアの「聖寵充ち満てる」(文語)、「恵みに満ちた」(口語)という表現は同じ解釈から来ています。
(3) 「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」は「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ7章14節、マタイ1章23節)とよく似た表現です。この「おとめ」はヘブライ語では「アルマー」で、単に「若い女」を意味する言葉ですが、古代のギリシア語訳で、「処女」の意味がある「パルテノスparthenos」と訳されました。イエスを身ごもったマリアが処女であったことについてはさまざまな解釈がありますが、処女とは、単純に「子どもを産むことができない女」と考えてもよいでしょう。高齢のエリサベトが子どもを身ごもったのも神の働きですが、男を知らないマリアが身ごもることはまったく人間の力ではなく、完全に神の力によることです。救い主イエスの到来は人間の力によって実現するのではなく、「聖霊」=「いと高き方の力」(35節)によってもたらされる神の恵みの出来事なのです。
(4) 「なりますように」と訳された言葉はギリシア語では「ゲノイトgenoito」です。ラテン語では「フィアットfiat」と訳され、ある英語訳では「Let it be」と訳されて、多くの人に親しまれてきた言葉です。これは信仰者の模範としてのマリアの姿をもっともよく表わす言葉だと言えるでしょう。
マリアにとって、天使のお告げを受け入れることは決して簡単なことではありませんでした。この時点でマリアの妊娠を知ったヨセフがマリアを受け入れてくれるという保証はありません。常識的には婚約は破談になり、マリアはシングル・マザーにならなければならないところでしょう。それでもマリアは神の言葉を受け入れ、自分を神の言葉にゆだねました。マリアにとって、神の言葉は自分と関係ないどこかで実現するのではなく、「この身に(=わたしに)」実現するのです。主の祈りの「み心が行なわれますように」やゲツセマネの祈りの「わたしが願うことではなく、み心に適(かな)うことが行われますように」(マルコ14章36節)も思い出すことができます(ラテン語では「行われますように」はいずれもfiatです)。わたしたちも心から「フィアット」と祈ることがあるでしょう。
神はマリアの受諾を必要としたのでしょうか。マリアに何も告げなくとも(あるいはマリアが断ったとしても)救い主をこの世に誕生させることはできたはずです。しかし、神は天使をとおしてマリアに語りかけ、マリアが自由に受諾することを求めました。神の救いを「握手」のイメージで考えると良いかもしれません。神の救いの手は人間に差し伸べられています。人間はそれを無視することも、はねのけることもできます。しかし、マリアは「はい」と応えて自分の手を差し出し、そこに初めて「握手」(本当の意味での救い)が成り立ちました。そういう意味で、このマリアの受諾から救いの時代が始まっていると言えます。わたしたちは神の差し出される手にどのように応えているでしょうか。
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第一朗読 サムエル下7・1-5、8b-12、14a、16
1〔ダビデ〕王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」3ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」4しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
5「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
8bわたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。9あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。10わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。11わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。12あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。14aわたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。16あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
第二朗読 ローマ16・25-27
25〔皆さん、〕神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。26その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。27この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
福音朗読 ルカ1・26-38
26〔そのとき、〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37神にできないことは何一つない。」38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
Posted on 2020/12/11 Fri. 13:00 [edit]
category: 2021年(主日B年)
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