福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
四旬節第1主日 (2021/2/21 マルコ1章12-15節) 
教会暦と聖書の流れ
「四旬節」は復活祭の準備の季節です。「四旬節」という言葉は「40日間」を意味します。復活祭までの日曜日を除く40日間が断食の期間とされたので、灰の水曜日が四旬節の始まりの日になりました。そもそもは復活祭に入信の秘跡(洗礼・堅信・聖体)を受ける人の準備期間であり、今もこの四旬節第1主日に洗礼志願式が行われます。また、教会全体が主の過越(死と復活)にふさわしくあずかるための準備期間とも考えられるようになりました。
福音のヒント
(1) きょうの箇所は2つの部分からなっています。イエスの活動開始に先立つ荒れ野での誘惑(12-13節)と、イエスの活動開始の部分(14-15節)です。四旬節第1主日には四旬節の原型となった40日の荒れ野の誘惑の場面が、3年周期でマタイ、マルコ、ルカ福音書から読まれます。マタイやルカは誘惑の内容を伝えますがマルコはもっと簡潔です。
イエスを荒れ野に送り出すのは、"霊"です。新共同訳聖書は、以前の口語訳聖書で特別に「聖霊」の意味で「御霊(みたま)」と訳されていた箇所を「"霊"」と表記しています。この霊は1章10節で「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを、御覧になった」と描かれています。洗礼のとき以来、一貫してイエスの行動を導くのは神の霊なのです。
(2) 「荒れ野」についてはA年四旬節第1主日の「福音のヒント」を参照してください。「サタン」はヘブライ語で「告発する者」「敵」を意味する言葉です。人を神から引き離す力の元締めがサタンだと考えればよいでしょう。「誘惑」と訳された言葉には「誘う」と「試す」の両方の意味がありますが、ここでは「神から離れるように誘うこと」です。
主の祈りの文語訳は「われらを試みに引きたまわざれ」となっていましたし、新共同訳のマタイ6章13節では「わたしたちを誘惑に遭(あ)わせず」と訳されています。しかし、誘惑や試練は必ずあるものなので、「誘惑や試練にあわせないでください」と祈ることは考えにくいでしょう。今、カトリック教会で唱えられている主の祈りでは「わたしたちを誘惑に陥らせず」となっていて、「誘惑があってもそこに陥ることのないように守ってください」と理解しています。このほうが、きょうの箇所のイメージにもつながるでしょう。
(3) マルコは「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」と述べています。これは何を意味しているのでしょうか。この箇所の背景に旧約聖書のイメージがあるとすると、思い浮かぶ箇所の一つはイザヤ書11章です。
「6 狼は小羊と共に宿り/豹(ひょう)は子山羊(こやぎ)と共に伏す。子牛は若獅子(わかじし)と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。7 牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。8 乳(ち)飲み子は毒蛇(どくじゃ)の穴に戯れ/幼子は蝮(まむし)の巣に手を入れる。9 わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。10 その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」
ここで、野獣はもはや人を害するものではなくなっています。神の救いが実現する終末的な平和の状態が描かれているのです。「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」をこのような終末の時がもう始まっている描写と見るのが一つの可能性です。
(4) 別の箇所ですが、詩編91では野獣と天使が同時に現れます。
「3 神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。4 神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。・・・(中略)・・・11 主はあなたのために、御(み)使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。12 彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る。13 あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり/獅子の子と大蛇(だいじゃ)を踏んで行く。14 『彼はわたしを慕う者だから/彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。』」
ここでは危険がまだ続いています。しかし、その中でも天使(御使い)に象徴される神の確かな保護がある、というのです(ちなみにこの詩編の11-12節は、マタイ4章6節とルカ4章10-11節でイエスを誘惑するために悪魔が引用する箇所です)。もしかすると、このほうがこれから始まるイエスの歩み全体には合っているかもしれません。十字架に至るまでイエスは神に従い、悪と戦い、神によって復活させられたからです。このイメージはまた、困難や危険に満ちたわたしたちの現実にもあてはまるのではないでしょうか。
(5) 活動開始の箇所が読まれるのは「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉のためで、回心の季節としての四旬節の性格を明らかにします。「悔い改め」はギリシャ語(名詞形)で「メタノイアmetanoia」と言います。「メタ」は「変える」、「ノイア(ヌース)」は「心」の意味です。元来は「心を変えること」を意味しましたが、新約聖書では「全身全霊で主に立ち帰る」ことを意味しています。「メタノイア」とはただ単に過去の過ちを後悔し、自分の罪深さを思うだけではありません。むしろ、神に心を向け直すことです。それは「心と生き方の方向転換」と言ってもよいでしょう。それを表すのが「回心」という漢字の表記です。主の死と復活を記念する四旬節・復活節のはじめに、わたしたちの心と生き方がどこを向いているかが問われています。
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※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
第一朗読 創世記9・8-15
8神はノアと彼の息子たちに言われた。
9「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。10あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
12更に神は言われた。
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
第二朗読 一ペトロ3・18-22
18〔愛する皆さん、キリストは、〕罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。19そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。20この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。21この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。22キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。
福音朗読 マルコ1・12-15
12〔そのとき、〕“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
Posted on 2021/02/12 Fri. 12:00 [edit]
category: 2021年(主日B年)
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