福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
復活節第3主日 (2021/4/18 ルカ24章35-48節) 
教会暦と聖書の流れ
先週に続いて、復活したイエスと弟子たちとが出会う場面が読まれます。きょうの箇所はルカ福音書からです。有名なエマオの弟子の物語(ルカ24章13-35節)の結びには、2人が「時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた」(24章33-34節)とありました。きょうの箇所では、そこに再びイエスが姿を現します。
福音のヒント
(1) 35節の2人の弟子は、エルサレムの弟子たちの集いを離れ、失意のうちにエマオに向かっていましたが、復活の主に出会って「十一人とその仲間」(33節)のもとに帰ってきます。イエスとの出会いの体験を告げ知らせたくて、他の弟子たちのもとに走るのです。弟子たちは復活したイエスとの出会いの体験を分かち合い、その集いの中で再びイエスに出会うことになります。ここに教会の原点があるのではないでしょうか。
「あなたがたに平和があるように」は先週の福音の箇所(ヨハネ20章19-29節)にも伝えられている復活したイエスのあいさつです。「罪のゆるし」というテーマも共通しています。この箇所の背景には先週読まれたヨハネ福音書の箇所と同じ伝承があったようです。
復活したイエスの姿は、エマオの弟子の場合は「見知らぬ旅人」の姿でしたが、ここでは弟子たちからは「亡霊」(ギリシア語では「プネウマpneuma」)と見られています。イエスはご自分が生きていることを示すために、手と足を見せ、魚を食べてみせることまでしました。このことを通してイエスが弟子たちに分からせようとしていることは「まさしくわたしだ」(39節)ということです。
(2) ルカ10章で、イエスがエルサレムに向かう旅に出たときに、先に72人を派遣するという話がありました。そこでは、「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」(10章5節)と言われ、また、「そこで出される物を食べ、また飲みなさい」(10章7節)とも命じられていました。きょうの箇所では、復活されたイエスご自身がまさにそのようにしています。イエスはみずから、派遣される弟子たちのあるべき姿を示そうとされている、と言えるかも知れません。
使徒言行録10章で、ペトロがコルネリウスの家で行なった説教との関連も指摘されます。「平和」(36節)、「食事」(41節)、「宣べ伝え、証しする」(42節)、「罪のゆるし」(43節)など、ほとんどの要素がきょうの箇所と共通しています。ルカは、これこそが弟子たちの証言の内容でもあるのだ、と言おうとしているのでしょう。
(3) 弟子たちはイエスの手足や、魚を食べるところを見て信じたというわけではありません。彼らが本当に信じる者に変えられるのは、45節で「イエスは、・・・彼らの心の目を開いて」というところです。わたしたちが信じるようになるためにも、わたしたちの内面に働きかけるイエスと聖霊の働きに心を開くことが必要なのです。
「モーセの律法と預言者の書と詩編」(44節)は、旧約聖書全体を指す言葉です。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦(ゆる)しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』」(46-47節)。これは旧約聖書のある箇所の引用というよりも、それが旧約聖書全体をとおして告げられていた神の計画だということでしょう。「まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたこと」(44節)とは何でしょうか? この日の朝、イエスの墓に行った女性の弟子に告げられた言葉はこうでした。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人(つみびと)の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(ルカ24章6-7節)。そう言われて「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(24章8節)とも言われています。
イエスのおっしゃるとおりだったのだ、とイエスの言葉を思い出す、という体験はわたしたちの中にもあるのではないでしょうか。イエスが語られた多くの言葉をわたしたちは知っています。でも、そのイエスの言葉がわたしたちの中で実現している、と感じたときに、イエスはほんとうに今も生きている、と感じることができるのです。
(4) 47節の「ゆるし」はギリシア語で「アフェシスaphesis」で、この言葉はイエスの活動の最初期にナザレの会堂でイエスご自身が朗読したイザヤ書の中にもありました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4章18-19節、イザヤ61章1-2節参照)。「解放」「自由」と訳されている言葉は両方とも「アフェシス」です。この「アフェシス」というイエスのミッション(使命)は復活を境に、エルサレムから始まって全世界へと広がっていきます。
「罪」とは「神との断絶」であり、そこに「いのち」はないのですから、「罪のゆるしを得させる悔い改め」とは、「人が神に立ち帰り、神と一つに結ばれ、神のいのちを生きること」だと言ったらよいでしょう。
なお、「悔い改めが、・・・宣べ伝えられる」のであって、使徒たちが宣べ伝えるとは言われていません。もちろん使徒たちも宣べ伝えるはずですが、ここではむしろ「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われています。それは「悔い改めを宣べ伝える」のが神の働き、復活されたイエスの働きだからではないでしょうか。使徒たちは、過去のイエスの出来事の証人であるだけでなく、今、自分たちの中で神が、復活のイエスがなさっていることの証人なのです。復活したイエスが今の自分たちの中に働いていて、神と一つに結ばれるいのちを自分たちが生きているということをあかしする、それは、言葉よりも生き方によるあかしだと言うべきでしょう。わたしたちもこの証人としての使命をいただいているのです。
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第一朗読 使徒言行録3・13-15、17-19
〔その日、ペトロは民衆に言った。〕13「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。14聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。15あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。17ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。18しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、この/ようにして実現なさったのです。19だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」
第二朗読 一ヨハネ2・1-5a
1わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。2この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。3わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。4「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。5しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
福音朗読 ルカ24・35-48
〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕35道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
36こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。」
Posted on 2021/04/09 Fri. 08:30 [edit]
category: 2021年(主日B年)
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