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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

主の昇天 (2021/5/16 マルコ16章15-20節  


教会暦と聖書の流れ


 使徒言行録によると、復活したイエスは40日にわたって弟子たちに姿を現した後、天に上げられました(1章3-11節、きょうの第一朗読)。本来、主の昇天の祭日は復活祭から40日目の復活節第6木曜日ですが、日本のようにキリスト教国でない国では日曜日に移して祝われます。きょうの箇所はマルコ福音書の結びですが、写本によってはこの部分がないものもあり、後の時代の人が付加した部分だと考えられます(マルコ福音書は本来16章8節で終わっていたようです。B年復活の主日の「福音のヒント」参照)。ここにはイエスの死後起こったことがコンパクトにまとめられています。すなわち、「弟子たちへの出現」「派遣命令」「イエスの昇天」「イエスが弟子たちとともにいつづけること」です。


福音のヒント


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  (1) この箇所の前、9-11節でマグダラのマリアへの出現(ヨハネ20章11-18節参照)が、12-13節では他の二人の弟子への出現(ルカ24章13-35節参照)が語られていますが、弟子たちはその人々の言葉を聞いてもイエスの復活を信じなかったと言われています。そしてこの箇所では「その不信仰とかたくなな心をおとがめになった」とあります。これらの言葉は昔の弟子たちを批判するために伝えられているのではなく、復活を信じることの難しさを語りながら、それでも信じるように読者を励ます意味があるのではないでしょうか。きょうの箇所では、イエスの言葉が弟子たちを信じるものに変えていきます。わたしたちもきょう、同じイエスの言葉に耳を傾けようとします。

  (2) 15節からが復活したイエスの言葉、いわゆる派遣命令です。この派遣命令の特徴は、「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」というように範囲が非常に広いことです。生前のイエスによる弟子たちの派遣が限定的だったのと対照的です(マルコ6章7-13節参照)。弟子たちの使命は「福音を告げること」ですが、これはマルコ福音書で言えば、これまでイエスがなさってきたことそのものです。「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」(1章14-15節)。告げるべき福音の内容はキリスト教のさまざまな教えというよりも、「神の国の到来」でした(その意味で「宣教」ではなく「告知」という言葉をここでは使うことにします)。「神の国」のメッセージは、別な言葉で言えば、「父(アッバ)である神は、すべての人を例外なく子どもとして愛してくださっている」というメッセージだったと言えるでしょう。「福音告知」とは「神は愛であることを伝えること」だと言ってもいいはずです。そう考えれば、決して言葉だけで伝わるものでないことも明らかでしょう。

  (3) 16節の「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」は信仰か不信仰かの決断を迫る言葉です。洗礼を受けていない人が大多数である日本のような国では、このような言葉に戸惑いを感じる人も少なくないでしょう。
 ここで、信じるか信じないかの前提に「福音が告げられている」ことがあるということは大切です。弟子たちが告げる福音(神が愛であること)は言葉だけではなく、弟子たちの生き方のすべてをとおして伝えられるはずのことです。そういう福音告知が前提にあって、福音が告げられた人に決断が問われているのです。だとすれば、わたしたちが教会の外の人をどう見るかではなく、まず第一にわたしたち自身が生き方と言葉のすべてをもってこの福音を告げているか、ということが問われるのではないでしょうか。

  (4) 信じるものに伴うしるしは、17節では「悪霊を追い出し、新しい言葉を語る」ことです。ここで「言葉」と訳されているのはギリシア語の「グロッサglossa」です。本来「舌」を意味する言葉ですが、英語のtongue(タング)のように「言語」の意味もあります。Ⅰコリント12、14章で「異言(いげん)」と訳されるのもこの言葉ですが、きょうの箇所では、何かしら特別に不思議な言葉というよりも「神から与えられる言葉のたまもの(カリスマ)全体」と考えればよいでしょう。
 聖霊降臨の日に、「炎のようなが分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章3-4節)とありますが、この箇所の「舌」も「言葉」も原語は「グロッサ」です。その日、使徒たちが語った言葉は、民族や言語の壁を越えて人と人とのコミュニケーションを可能にする言葉でした。悪霊が人を神から引き離し、人と人との関係を破壊する力だとすれば、逆に聖霊は神と人、人と人とを結ぶ力です。ほんとうにわたしたちの働きが神と人・人と人を結ぶものであれば、どれほど力強い「しるし」になるでしょうか
 18節の「蛇(へび)」は人間を害するもののシンボルです。その「蛇」や「毒」に打ち勝ち、病人をいやすというのがもう一つの「しるし」です。こんなことは今のわたしたちには不可能だと思われるかもしれません。しかし、福音書が伝えるイエスの「いやし」をどのように受け取るかによって、これもわたしたちのテーマになりうるのではないでしょうか。イエスのいやしとは「病気によって、神からも、他の人からも切り離されていた人を、神との交わり、人との交わりに連れ戻し、そこからその人自身が立ち上がることができるように助けること」と見ることもできるでしょう。だとすれば、今のわたしたちの中でもそのような「しるし」は起こりうるのではないでしょうか。

  (5) 19節でイエスは天に上げられますが、20節では「主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」と語られ、イエスが遠くへ去っていったのではないこともはっきりと示されます。「天」とは時間・空間を超えた神の領域です。ですからイエスは目に見える姿、手で触れることのできる形ではいなくなりますが、同時に目に見えない形で、弟子たちとともにいてくださるのです。これこそが復活の神秘(=過越の神秘)の完成だと言えます。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 使徒言行録1・1-11


 1‐2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
 6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


第二朗読 エフェソ4・1-13


 1〔皆さん、〕そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
 7しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。8そこで、
 「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
  人々に賜物を分け与えられた」と言われています。
 9「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。10この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。


福音朗読 マルコ16・15-20


 15〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
 19主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕

Posted on 2021/05/07 Fri. 08:30 [edit]

category: 2021年(主日B年)

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