福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
年間第17主日 (2021/7/25 ヨハネ6章1-15節) 
教会暦と聖書の流れ
主日のミサの聖書朗読配分は、マタイの年、マルコの年、ルカの年の3年周期になっています。ヨハネ福音書はほとんどの箇所にイエスの死と復活というテーマが現れているので、四旬節や復活節に集中して読まれます。ただし、ヨハネ1章19節~2章11節(イエスと最初の弟子たちの出会い=年間第2主日)と6章(パンについての話)だけは、年間主日の流れの中に組み込まれて読まれることになっています。今年はマルコの年で、先週の箇所(マルコ6章30-34節)に続くのは、5つのパンと2匹の魚を大群衆に分け与える話(6章35-44節)ですが、きょうの福音では同じ話をヨハネ福音書から読みます。そして、きょうから5週間、ヨハネ福音書の6章が読まれていくことになります。このようにカトリック教会の朗読配分では、主日のミサの中で4つの福音書をバランスよく読むことができるようになっているのです。
福音のヒント
(1) 写真はカファルナウムの近くにある「パンと魚の教会」と呼ばれる教会の祭壇の下のモザイクです。5世紀ごろに作られたものだそうです。きょうの福音の出来事が古代の教会の中で大切にされていたことが分かります。この出来事が起こった場所は正確には分かりません。「向こう岸」とありますが、異邦人の地のことではなくカファルナウムの周辺の地だったようです。
聖書の中で「山」は、特別に「神がご自身を現す場」「神との出会いの場」です。「過越祭(すぎこしさい)」はエジプトの奴隷状態からの解放という、神の救いのわざの原点を記念するイスラエル最大の祭りです。ヨハネ福音書は、この出来事をとおしてイエスの神性が現れ、新しい過越とも言うべき大きな救いが示されることを伝えるために、この場所と時を選んでいるようです。
(2) 「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(5節)というイエスの問いはヨハネ6章全体にかかわる大きな問いです。この問いの本当の答えは、6章35節にあるイエスの宣言、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」ということだからです。もちろん弟子たちは、ここではまだ、そのことを理解できていません。「二百デナリオン」は200日分の日給にあたりますからたいへんな額です。とても自分たちの手には負えない、と考えて「足りないでしょう」「何の役にも立たないでしょう」と言うのです。このようなつぶやきはわたしたちの中にもあるかもしれません。
(3) 11節「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」。「感謝の祈りを唱え」はギリシア語で「エウカリステオーeucharisteo」ですが、マルコ、マタイ、ルカでは「賛美の祈りを唱え(エウロゲオーeulogeo)」という言葉が使われています。賛美と感謝の違いはあまり問題になりません。どちらもこのパンが神から与えられたものであることを確認し、このパンを与えてくださった神に賛美と感謝をささげているのです。「分け与える」は他の福音書では「パンを裂いて与える」というような表現になっていますが、動作としては同じです。これは最後の晩さんのときのイエスの動作、そしてミサの中での司祭の動作にもつながる大切な表現です。
(4) パンを食べたすべての人は満腹しました。男の数が5千人ですから女性や子どもを入れれば1万人ほどの人がいたことになるでしょう。この不思議な出来事は4つの福音書すべてに伝えられていますが、このような出来事をどう考えればよいのでしょうか。
第一朗読で読まれる列王記下4章42-44節には同じような出来事が伝えられています。そこでは、紀元前9世紀の預言者エリシャが大麦パン20個を100人の人に食べさせ、人々は食べきれずに残したという話になっています。5つのパンで5千人というのはもっと奇跡的な出来事であることが強調されていますが、正確な数字だと考えなくてもよいのではないでしょうか。この話のもとには、弟子たちのなんらかの体験があったはずです。それは「大勢の人がいて、パンは絶対に足りないと思ったのに、イエスを中心にそのパンを分け合ったとき、そこにいたすべての人が満たされた」というような体験だったのかもしれません。
(5) 「パンの屑(くず)」(12,13節)の「屑」と訳された言葉は、原文では「裂かれたもの」を意味する言葉が使われていますから、むしろ、「パンのかけら」と訳したほうがよいでしょう(『聖書協会共同訳』では「パン切れ」)。「十二」はイスラエルの部族を象徴する数だとも言われますが、ただ単に完全さを現す意味で「十二」という数になっているのかもしれません。とにかくここで、イエスのもとにある豊かさが強調されているのでしょう。
「イエスのもとにある本当の豊かさ」とは何でしょうか。11節のイエスの動作にその秘密があるのではないでしょうか。イエスは食事の際の動作の中で、神とのつながり、人と人とのつながりをはっきりと示しています。目の前にパンがあってそれを自分が食べるから満たされるのではなく、わずかなパンでもそれを与えてくださった神とのつながりを思い、そこにいるすべての人とのつながりを大切にしていただくときに満たされる。わたしたちの中にもそのような体験があるのではないでしょうか。
(6) この出来事に対する人々の反応は、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」というもので、決して否定的な反応ではありませんでした。しかし、イエスは「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしている」と受け取ります。イエスが十字架につけられた時の罪状書きは「ユダヤ人の王」というものでした(ヨハネ19章19節)。ここでの「王」もローマ帝国の支配を打ち破り、ユダヤ人をローマ皇帝から解放してくれる政治的指導者の意味でしょう。イエスの力を見た人々はイエスにこのような期待をかけ、イエスを自分たちの王に祭り上げようとしたのです。わたしたちはイエスに何を期待しているのでしょうか。そして、イエスはわたしたちに何を求めているのでしょうか。
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第一朗読 列王記下4・42-44
42〔ギルガルの地が飢饉に見舞われていたとき、〕 一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来た。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、43召し使いは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。エリシャは再び命じた。「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」44召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。
第二朗読 エフェソ4・1-6
1〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
福音朗読 ヨハネ6・1-15
1〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
Posted on 2021/07/16 Fri. 09:30 [edit]
category: 2021年(主日B年)
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