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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第18主日 (2021/8/1 ヨハネ6章24-35節)  


教会暦と聖書の流れ


 主日のミサの聖書朗読は3年周期になっていて、今年(B年)の年間主日には、主にマルコ福音書が読まれます。しかしその途中、先週の年間第17主日から5週の間は、ヨハネ福音書6章が読まれることになっています。先週の福音は、5つのパンと2匹の魚を大群衆に分け与えたという話でしたが、きょうはその翌日の話です。パンをめぐるイエスと群衆の対話の中で、何が「命のパン」か、すなわち、何がほんとうに人を生かすものであるかが問われ、そして、明らかにされていきます。


福音のヒント


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  (1) 5つのパンと2匹の魚の話の後、きょうの箇所との間(6章16-21節)に、イエスが湖の上を歩いたという話が伝えられています。この話はマルコ福音書やマタイ福音書でも5つのパンの話に続けて語られていますから、ヨハネもそれを踏襲したのでしょう。この話の中に「わたしである(=わたしがいる)、恐れることはない」(20節)というイエスの力強い言葉があります。ヨハネ福音書の場合、湖の上を歩いた話は単に奇跡物語であるだけでなく、このイエスの力強い宣言をとおして、人々をイエスに対する信仰、「わたしが命のパンである」というイエスへの信仰に招く意味があるようです。
 イエスと弟子たちが「主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所」(23節)を離れ、舟に乗って出かけたので、群衆がイエスを探して「湖の向こう岸」のカファルナウムにやって来る、というところからきょうの箇所は始まります。

  (2) 「ラビ」(25節)は、ヘブライ語で「わたしの先生」という意味の尊敬を込めた呼びかけの言葉です。5つのパンの物語の結びに「人々はイエスのなさったしるしを見て、『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」(ヨハネ6章14-15節)とありました。人々は確かにイエスのすばらしさを認めていますが、それはイエスが人々に期待した反応とは違っていたようです。イエスに対する人々の期待は、いろいろでした。病気をいやす力を持った者としての期待(2節参照)、ローマ帝国の支配を打ち破る王としての期待(15節)、さらに自分たちが満腹できるように必要なパンをいつも与えてくれる方としての期待。イエスはそれらの期待を退けます。
 「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(26節)。イエスが求めるのは、人々が「しるし」を見ることです。ヨハネ福音書では奇跡のことを「しるし」と言いますが、不思議な出来事をとおして、人がイエスを知り、神ご自身を知るようになるのが「しるし」という言葉の意味することです。単に目に映る出来事に驚いたり、目に見えるものを期待するだけでは不十分なのです。

  (3) 27節「朽(く)ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」ここから、ほんとうに人を生かすものは何か、ということがはっきりと語られていきます。それは、別の箇所ではこう言われていることと同じです。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17章3節)。
 27節の「人の子」は、もともと人間一般を指す言葉でしたが、ダニエル書7章13節によって、「神が遣わされる決定的な裁き主・救い主」を指すようになった言葉です。ヨハネ福音書ではイエスご自身がたびたび、ご自分のことを「人の子」と呼んでいます。イエスはもちろん、神の独り子(ひとりご)ですが、神から遣わされて世に来られ、人として生き、人々の救いのために救い主としての使命を果たされる、このことを表すために、この「人の子」という言葉が用いられていると考えればよいでしょう。なお、同じ27節の「認証」は「証印を押して確認すること」を表す言葉です。
 
  (4) 28,29節の「神の業(わざ)」とは「神の望まれる業」のことでしょう。ところで、28節の「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」という人々の問いは、日本語では唐突な印象があるかもしれません。27節でイエスが「働きなさい」というときに、ギリシア語では「エルガゾマイergazomai」という動詞が使ってありましたが、この言葉の名詞の形が「エルゴンergon(業、働き)」です。28節の「神の業を行う」は原文に即して訳せば「神の働き(エルゴン)を働く(エルガゾマイ)」ということになり、これは27節の「働きなさい」という言葉に対する直接の反応だということになります。
 31節の「マンナ」は紀元前13世紀、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、荒れ野で食べ物がなくて苦しんでいた時に、神によって与えられた不思議な食べ物です(出エジプト記16章=きょうの第一朗読、民数記11章6-9節)。出エジプト記16章4節、詩編78編24節では、「天からのパン(穀物)」とも呼ばれています。「マンナ」は、神がいつくしみ深く民を養い、守り、導き、生かすことのシンボルでした。

  (5) 35節はこれまでの議論の結論です。イエスが命のパンである、すなわち、イエスのうちにこそ命がある、というのです。それはどういうことなのでしょうか?
 地上に生きていたイエスの命は神とのつながり、人とのつながりの中にありました。ヨハネ6章11節で「パンを取り、感謝の祈りを唱えた」イエスは、神によって生かされる命をいつも生きていました。そのパンを「人々に分け与えられた」イエスは、人と人とが生かし合う命を日々生きていました。わたしたちもこのイエスの命に招かれています。
 このイエスは受難と死を経て、復活の命を生きているイエスでもあります。最後まで弟子たちを愛し抜き、父のもとに移られたイエス(ヨハネ13章1節参照)は、父である神とともに永遠に生きていて、信じる人々を永遠の命に導く方なのです。
 また、根本的に、命は神から来るものです。イエスはその「神のふところにおられる独り子」(ヨハネ1章18節)であり、神と人とを結び合わせる方だからこそ、イエスのうちに命がある、とも言えるのです。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。



聖書朗読箇所

第一朗読 出エジプト16・2-4、12-15


  2荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。3イスラエルの人々は彼らに言った。
 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
 4主はモーセに言われた。
 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。
 12わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
 13夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。
 「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。


第二朗読 エフェソ4・17、20-24


 17〔皆さん、〕わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩〔んでいます。20しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。21キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。22だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、23心の底から新たにされて、24神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。〕


福音朗読 ヨハネ6・24-35


  〔五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった〕24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
 29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。


Posted on 2021/07/23 Fri. 08:30 [edit]

category: 2021年(主日B年)

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