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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

聖母の被昇天(2021/8/15 ルカ1章39-56節)  

教会暦と聖書の流れ


 8月15日の「聖母の被昇天」の祭日が日曜日に当たると、主日のミサでもこの祭日を祝うことになります。聖母の被昇天とは、「おとめ聖マリアが生涯の最後に、体も魂も共に(存在のすべてが、という意味)天の栄光に上げられた」という教えです。しかし聖書には、イエスの母マリアの生涯の終わりについての記録はありません。
 福音の箇所は、ルカが伝えるイエスの誕生物語の一部で、「マリアのエリサベト訪問」(39-45節。C年待降節第4主日の福音)と「マリアの賛歌」(47-55節)が組み合わされています。エリサベトのマリアへの祝福の言葉は「アヴェマリアAve Maria」の祈りに用いられていますし、マリアの賛歌は「マニフィカトMagnificat」として歌い継がれてきました。


福音のヒント


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  (1) キリスト信者は古代から、イエスの母マリアの生涯の終わりが祝福に満ちたものだったと信じてきました。旧約聖書の中でエノクという人は、「神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5章24節)と伝えられています。また預言者エリヤの最後については「火の戦車が火の馬に引かれて現れ、・・・嵐の中を天に上(のぼ)って行った」と書かれています(列王記下2章11節)。マリアの場合もそのような特別な生涯の終わり方だったと考えられて、次第に「マリアは神に取られた(=天に上げられた)」と表現されるようになりました。この教えは、マリアが神の特別な恵みのゆえに、例外的に普通の死を味わわなかった、ということを強調する教えではありません。むしろ、キリスト信者=教会の最終的な救いの完成の姿を、マリアの生涯が前もって表している、ということが大切です(第二バチカン公会議『教会憲章』第8章参照)。マリアはわたしたちの一員であり、だからこそ、わたしたちの希望の星なのです。

  (2) きょうの福音もマリアが「特別で例外的な存在」である、というよりも、「わたしたちの一員」であるという面から味わうことができるでしょう。
 マリアは救い主の母となるということを天使に告げられて、ただ一人でその時を待つのではなく、洗礼者ヨハネを胎内に身ごもっているエリサベトを訪ねます。なぜマリアはエリサベトのところに行ったのでしょう。天使のお告げを確かめるためでしょうか? 身重のエリザベトを助けるためでしょうか? それだけでなく、神の救いがお互いの中に働いていることを確かめ合い、共に神を賛美し、心を合わせて神の約束の実現を待つためとも言えるでしょう。この二人の姿は、一つに集まって神のことばを味わい、共に祈っているわたしたちの教会の原型とも言えるのではないでしょうか。
 「女の中で祝福された方」(42節)は、「最も祝福された女性」という意味です(士師記5章24節参照)。マリアだけが祝福されているのではなく、すべての女性(そしてすべての母親)は祝福されています。ただ、マリアが最高に祝福されているというのは、胎内の子(イエス)が神の祝福そのものである方だからです。
 さらにエリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)と言います。これは直接にはマリアに向けられた言葉ですが、同時にマリアだけでなく、信じるすべての人に向けられた祝福の言葉だとも言えます。

  (3) 47節からのマリアの歌は、イエスを身ごもったマリアの個人的な賛美と感謝から始まりますが、後半は救いを待ち望むすべての人に救いをもたらされる神への賛美になっていきます。前半と後半を結ぶキーワードのような言葉は、「身分の低い(タペイノスtapeinos)」という言葉です。48節に「身分の低い(タペイノーシスtapeinosis)」という言葉があり、52節に「身分の低い者(タペイノイtapeinoi)」があります。マリアは「身分の低い」自分に目を留められた神は、「身分の低い」すべての人を必ず救ってくださると確信して賛美します。マリアの歌は救いを待ち望むすべての人との連帯の歌なのです。
 このように見てくると、きょうの福音は、マリアにとってだけの特別な福音ではなく、救いを待ち望むすべての人にとっての福音だといえるでしょう。マリアは救いを受けるわたしたちの代表なのです。ある意味でわたしたち一人一人がマリアだとも言えるでしょう。わたしたちはどうしたら、このマリアの連帯性にあずかることができるでしょうか。

  (4) 54-55節の「僕(しもべ)イスラエル」や「アブラハムの子孫」という言葉は単なる民族主義的な表現ではありません。新約聖書のパウロの手紙によれば、「アブラハムの子孫」は神の約束にあずかる人々の意味で、キリスト信者のことを指しています(ガラテヤ3章29節参照)。ルカ福音書の中で「アブラハムの子(娘)」という言葉の使われ方は特徴的です。イエスは18年間も病気の霊に取りつかれて腰の曲がったままだった女を「アブラハムの娘」(ルカ13章16節)と呼び、徴税人の頭(かしら)ザアカイを「アブラハムの子」(ルカ19章9節)と呼びました。彼らは社会の中で、蔑視され、無視されていた人々でしたが、イエスは「この人もアブラハムの子なのだ、娘なのだ」と言って、この人も神が愛しておられる人であると宣言しました。イエスの言う「アブラハムの子孫」とは、誰かを排除するための表現ではなく、目の前の人を誰も排除してはならないことに気づかせるための言葉なのです。マリアの歌の中でも、すべての人に救いが約束されているということが大切です。

  (5) ミサの第2朗読は、第一コリント15章20-27a節です。パウロはそこで、キリストの復活のいのちにすべての人が最終的にあずかることになる、という希望を表明します。マリアの被昇天は、キリストの復活の救いに完全にあずかる先取りと考えられているので、この朗読箇所が選ばれています。日本では8月15日は、特別に戦争で亡くなった人々のことを思う日です。また、多くの人が亡くなった自分の先祖のことを思う日でもあります。神のもとにあげられ、永遠のいのちを生きるものとなった聖マリアの姿を見つめながら、亡くなったすべての人が神のいのちにあずかることができるよう祈りましょう。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 黙示録11・19a, 12・1-6, 10ab


 11・19天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え〔た〕。
 12・1また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。4竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。5女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。6女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
 10わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
 「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
 神のメシアの権威が現れた。」


第二朗読 一コリント15・20-27a


 〔皆さん、〕20キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。21死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。22つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。23ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、24次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。25キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。26最後の敵として、死が滅ぼされます。27「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。


福音朗読 ルカ1・39-56


 39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 46そこで、マリアは言った。
  「わたしの魂は主をあがめ、
 47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 48身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
  今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
 49力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
  その御名は尊く、
 50その憐れみは代々に限りなく、
  主を畏れる者に及びます。
 51主はその腕で力を振るい、
  思い上がる者を打ち散らし、
 52権力ある者をその座から引き降ろし、
  身分の低い者を高く上げ、
 53飢えた人を良い物で満たし、
  富める者を空腹のまま追い返されます。
 54その僕イスラエルを受け入れて、
  憐れみをお忘れになりません、
 55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
  アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
  56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

Posted on 2021/08/06 Fri. 08:30 [edit]

category: 2021年(主日B年)

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