福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
年間第24主日 (2021/9/12 マルコ8章27-35節) 
教会暦と聖書の流れ
耳が聞こえず口のきけない人をいやした先週の箇所(マルコ7章31-37節)からは少し飛んでいます。きょうの箇所は、いわゆる「ペトロの信仰告白」と「最初の受難予告」の場面です。ガリラヤでのイエスの力強い活動を伝えるマルコ福音書の前半(1章1節~8章30節)から十字架と復活への道を歩む後半(8章31節~16章8節)へのターニングポイントとも言える重要な箇所です。
福音のヒント
(1) この出来事の起こった場所は「フィリポ・カイサリア地方」です。「カイサリア」は「ローマ皇帝(カエサル)」から取られた名ですが、地中海沿岸にある町「カイサリア」と区別するために「フィリポ・カイサリア」と呼ばれました(フィリポはヘロデ大王の息子の名)。ガリラヤ湖に北から注ぎ込むダン川の源流にあたる異邦人の地であり、異教の神「パン」の神殿がありました。
この出来事が異邦人の土地で起こったことに特別な意味があるのでしょうか。イエスは一時的に活動の地であるガリラヤを離れて、これから先の道を確かめようとしていたのではないか、という見方もあります。あるいは、ローマ世界の真っ只中でイエスへの信仰を生き、そして迫害を受けていたマルコの教会にとっては、この状況に親しみが感じられたという考えもあります。
(2) 「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」というイエスの問いかけに答えて、当時の人々のイエスについてのうわさが紹介されています。このようなうわさは、6章14-15節にも伝えられていました。「洗礼者ヨハネ」は6章でヘロデ・アンティパス(ガリラヤの領主)によって殺されています。「エリヤ」は北イスラエルの有名な預言者で、紀元前9世紀の人です。列王記下2章によれば、生涯の終わりに生きたまま天に上げられたと伝えられています。そこでエリヤは決定的な神の介入のときに、再び天から遣わされると信じられるようになりました(マラキ3章23-24節参照)。もちろん、マルコにとってこのようなうわさはイエスを正しく理解しているとは言えないものです。
イエスは次に弟子たちに向かって、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけます。ずっとイエスと共に歩み、イエスのなさることを見てきた弟子たち自身の判断を迫るのです。その時、「あの人はこう言っています」とか「この人にこう教えられました」ではなく、自分の判断として、自分とイエスのかかわりの中で、自分にとってイエスという方はどういう方なのかを答えなければならないのです。これは、わたしたち一人一人への問いかけでもあると言えるでしょう。
(3) 「あなたはメシアです」の「メシア」はギリシア語原文では「クリストスchristos(=キリスト)」です。「メシア」はアラム語ですが、どちらも「油注がれた者」を意味する言葉です。本来はイスラエルの王が即位するときに油を注がれました(祭司や預言者の場合もあります)。油を注ぐことは神からの特別な使命が与えられ、その使命を果たすための力(=神の霊)が与えられることのシンボルでした。「油注がれた者」は、神から遣わされる決定的な「救い主」を意味するようになっていきました。新共同訳や聖書協会共同訳の新約聖書は「クリストス」という言葉が救い主の称号として使われている箇所は「メシア」、イエスの固有名詞のように使われている箇所は「キリスト」と訳し分けています。
ペトロはイエスのこれまでの活動を見てきて、イエスをキリスト(救い主)であると宣言しました。もちろん、これは正解です。しかし、イエスはここでそのことを口止めしています。それは、ペトロの思い描いていたキリストの姿が「栄光に満ち、この世で勝利を収める王」であり、受難のイエスの後に従う姿勢が欠けていたからでしょう。
(4) 31節は「受難予告」と呼ばれるものの最初のものです。「必ず・・・なっている」はギリシア語では「デイdei」という非人称動詞が使われていて、「・・・ねばならない」とも訳されます。単なる必然を表すというよりも、神が定めたことを表す表現です。
この受難予告を特別な未来予知能力によるものと考える必要はないでしょう。イエスの活動は多くの人々に信頼と希望を呼び覚ましましたが、一方ではユダヤの指導者層からの反発と敵意も高まっていたからです。また、神は従う者を決して死の中に見捨てない、という復活への確信と希望をイエスの時代の人が持つことも自然でした。なお「三日」は正確な日付を表すのではなく、「短い期間」を表す一つの表現だと考えることができます。
31節の「人の子」という言葉は本来、人間一般を指す言葉でしたが、ダニエル7章13-14節「夜の幻をなお見ていると、/見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り/『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた」という箇所のため、特別な意味を持つようになりました。それは最終的に「神から遣わされる栄光に満ちた審判者・救済者」という意味です。もちろん、旧約聖書には「受難の人の子」という考えはありませんが、マルコはイエスの受難と「人の子」を結び付けます。そこには人間としてすべての人と連帯しているイエスの姿、人間としての苦しみをとことん味わわれた(だからこそすべての人の救いとなる)イエスの姿を見ることもできるでしょう。
(5) ペトロは、自分の考えるキリスト像に合わないことを言うイエスをたしなめます。もちろんイエスの無事を願ってのことでもあります。それに対するイエスの言葉、「サタン、引き下がれ」は厳しい言葉です。「サタン」とは人間を神から引き離す力のシンボルです。神に従う道としての受難の道からイエスを引き離そうとすることはサタンの働きなのです。続いて、イエスはご自分の十字架への道に弟子たちを招きます。十字架刑に処せられる人は処刑場まで自分の十字架を担いで行きました。「十字架を背負う」は死そのものというよりも、死に至る苦しみと辱(はずかし)めを意味しているようです。わたしたちにとって「自分の十字架を背負ってイエスに従う」とはどういうことでしょうか?
なお、「命を救う」「命を失う」というときの「命」は、この世の命と永遠の命の両方の意味で用いられています。
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「福音のヒント(PDF)」
※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
第一朗読 イザヤ50・5-9a
5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
8わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
9見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。
第二朗読 ヤコブ2・14-18
14わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。15もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、 16あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 17信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。 18しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
福音朗読 マルコ8・27-35
27〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。 28弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」30するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。 31それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」
Posted on 2021/09/03 Fri. 08:30 [edit]
category: 2021年(主日B年)
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