fc2ブログ

福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第28主日 (2021/10/10 マルコ10章17-30節)  


教会暦と聖書の流れ


 マルコ福音書の2回目の受難予告(9章31節)の後、受難の道を歩むイエスに従うとはどういうことかを示す言葉や物語が続いています。きょうの箇所の冒頭の「イエスが旅に出ようとされると」はガリラヤからエルサレムへの旅のことです。ここでは、「イエスに従う」ということが、より明確なテーマとして表れています。


福音のヒント


20181014.jpg
   (1) ある人がイエスに「善い先生」と呼びかけ、教えを乞います。この人はイエスの素晴らしさを認め、その教えを聞こうとしてイエスに近づいてきたようです。しかしイエスはなぜか「善い」という言葉にこだわります。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(18節)。イエスは「善い者」であるはずですから、不思議に思われるかもしれませんが、イエスはここでこの人の心を、イエス自身にではなく、次節の神の掟に向けさせるために、あえてこう言っているようです。
 19節の「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」は十戒の言葉です(出エジプト記20章12-16節、申命記5章16-20節)。十戒は神に救われた民の「神との関係、他の人との関係」の根本を規定したものですが、ここではその後半の人間関係についての掟が引用されています。この人は「先生、そういうことはみな、子どもの時から守ってきました」と言います。この人は道徳的に見て立派な人だったのでしょう。
 イエスはこの人に対して「あなたに欠けているものが一つある」(21節)と言い、財産をすべて貧しい人に施し、イエスに従うことを求めます。この厳しさはなんでしょうか。イエスご自身が受難への道を歩み始めていることと関係があるのでしょうか。
 イエスの要求の厳しさは、精一杯受け止めるべきでしょう。実際に2000年のキリスト教の歴史の中で、多くの人がこのようなイエスの呼びかけにまともに応えようとしました。キリスト教とはそういう人々の歩みそのものだと言ってもよいのです。

  (2) ただし、だからと言ってイエスの呼びかけに応えられない自分はダメだと決めつけるべきでもないでしょう。イエスはこの金持ちの男のすべてを否定したとは思えません。「慈しんで」(21節。ギリシア語で「アガパオーagapao」)という言葉には、イエスの深い愛が感じられます。また、イエスはすべての人にこのような要求をしているわけでもありません。ルカ19章1-10節に徴税人の頭(かしら)で金持ちであったザアカイの物語があります。ザアカイはイエスに出会い、救いを受け取ったとき、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。イエスはザアカイのこの決意を良しとしています。なぜ、きょうの箇所では「すべてを捨てて、貧しい人に施す」ことが要求されているのでしょうか?

  (3) イエスはこの男に「あなたに欠けているものが一つある」(21節)と言います。それはこの人の生き方の問題に気づかせるためだったのではないでしょうか。イエスの言葉を聞いて、彼は「悲しみながら立ち去」りました。こうして、彼が「自分の財産」を頼りにしていたことが明らかになってしまうのです。
 25節の「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」という言葉は、もちろん、それが不可能だ、という意味です。これを聞いて、弟子たちは驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言います。当時のユダヤ人にとって、財産は神の祝福のしるしでした。また、ある程度の財産があり、生活に余裕がなければ、律法に忠実な生活を送れないという考えもあったでしょう。イエスはそのような考えとまったく違うことを言っています。なぜでしょうか。それはもちろん、財産があれば、自分の財産を頼りにして、神に信頼する生き方を見失うということを意味しているのでしょう。

  (4) イエスが常に指し示していたのは、すべての人の父(アッバ)である神への信頼に生きることでした。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)という言葉は当たり前のことを言っているようですが、実は大切なことを言っています。救いの根拠は「人間にできること」ではなく「神の愛」にあるのです。ここに登場した金持ちの人は、永遠の命を得るために「自分に何ができるか」ということを考えていました。それは「富や功績があり、その上何をすれば?」という「人間にできること」の世界でした。イエスが「善い」という言葉を退けたのも「自分の善い生活」を自負したこの人に、それが本当に頼りになるものではない、と気づかせるためだったのかもしれません。この人に必要だったのは、神に信頼し、兄弟姉妹の必要に心を開くことだったのです。ザアカイの場合は、罪びとの自分を愛してくださるこの神の救いをイエスとの出会いによって知りました。だから、感謝と喜びのうちに財産を手放す決意をしたのです。
 
  (5) ペトロは「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(28節)と胸を張ります。イエスはご自分に従う者の受ける報いを約束しますが、「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(31節)とも言います。ここでもほんとうは人間の功績の問題ではないのです。神はすべての人を愛し、救ってくださる方、だから、誰が一番ということではないのだ、ということになります。
 ところで29-30節で、捨てるものの中にあって、「今この世で」受けるものにないのは「父」だけです。これは「本当の父は、天の父である」ということなのかもしれません。
 「捨てることによって、受ける」ということは言葉で説明できることではないでしょう。むしろわたしたちが実際に、福音のために何かを捨てたという経験があれば、そこでもっと豊かなものを受けたという体験もあるのではないでしょうか。
福音は自分を誇ったり、自分を責めたりするためにあるのではありません。わたしたちをより豊かな生き方に招くためのものです。わたしたちが本当に頼りにしているものは何でしょうか? 今のわたしにとって、イエスに従うとはどういうことなのでしょうか?




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 知恵7・7-11


7わたしは祈った。すると悟りが与えられ、
願うと、知恵の霊が訪れた。
8わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、
知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
9どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
知恵の前では金も砂粒にすぎず、
知恵と比べれば銀も泥に等しい。
10わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、
光よりも知恵を選んだ。
知恵の輝きは消えることがないからだ。
11知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。
知恵の手の中には量り難い富がある。


第二朗読 ヘブライ4・12-13


 12神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができ〔ます。〕13更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。


福音朗読 マルコ10・17-30


17〔そのとき、〕イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
《28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」》


Posted on 2021/10/01 Fri. 10:54 [edit]

category: 2021年(主日B年)

tb: 0   cm: --

トラックバック

トラックバックURL
→http://fukuinhint.blog.fc2.com/tb.php/906-e7252eea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

カテゴリ

福音のヒントQRコード

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク


▲Page top