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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

年間第7主日 (2022/2/20 ルカ6章27-38節)  


教会暦と聖書の流れ


 「貧しい人々は、幸いである」という言葉に始まったいわゆる「平地の説教」(ルカ6章20-49節)の中の言葉で、先週の箇所の続きです。マタイの「山上の説教」(マタイ5~7章)にも似た言葉が伝えられています(マタイ5章39-40, 44-48節、7章1-2, 12節参照)。さまざまな場面で語られたイエスの言葉を集めたもののようですが、どのような意図で集められたのでしょうか。新しくキリスト信者になった人々に、これからの生き方の指針を示すためだったのではないかという見方があります。


福音のヒント


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  (1) 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。イエスは徹底的な愛を要求します。それは無条件の愛、見返りを求めない愛です。マタイ5章40節では「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」となっていますが、ルカで上着と下着が逆転しています。マタイのほうは裁判の場面が考えられているのに対して、ルカのほうは強盗に襲われた場面を考えているようです。31節の「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」は黄金律と呼ばれる言葉で、マタイ7章12節にもあります。32-34節「罪人(びと)でも」の罪人は、ここでは「神から離れている人」の意味でしょう。マタイ5章46, 47節では「徴税人」「異邦人」となっています。「異邦人」は「神を知らない人」とも言えるでしょう。ここでも「ギヴ・アンド・テイク」のような愛を超えた愛が求められています。

  (2) イエスは確かに厳しい要求をしますが、それは単なる要求ではありません。この要求の根拠となる言葉があります。「そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(35-36節)。
 「いと高き方」はもちろん神のことです。「たくさんの報い」と言いますが、神からの報いを期待しなさい、という意味でしょうか。しかし、ここでは「人間の行為に応じて、神が報いを与える」(=応報)という以前にもっと大切なことがあるのです。それは「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」ということです。これは応報の考え方を根本から否定するような言葉です。あなたがたはこの神の愛を知ったはずだ、だから神の子として、その愛をもって人に対していきなさい、ということになるでしょう。
 これは、「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである」という福音の宣言とも無関係ではありません。この「幸い」を知ったことが弟子の生き方の原点になるのです。イエスは「新しい律法」を与えているのではなく、神の愛を受けた神の子としての新しい生き方はこうなのだと指し示しているのです。根本に神の国の福音がある、ということは今日のイエスの言葉を受け取るために忘れてはならないことです。

  (3) さらにこれらの言葉が、単なる言葉ではなく、イエスご自身の生き方と結びついていることも大切です。この点でルカ福音書が伝えるエピソードは印象的です。エルサレムに向かうイエスを歓迎しなかったサマリア人の村を見て、焼き滅ぼしてしまおうと考えた弟子たちをイエスは戒めました(ルカ9章51-56節)。イエスを逮捕しに来た大祭司の手下の耳をイエスの弟子が切り落としたとき、イエスはその耳をいやされました(ルカ22章50-51節)。さらに、イエスを十字架につけた人々のための祈りが伝えられています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)。きょうのイエスの言葉は、単なる弟子たちに対する要求なのではなく、イエスご自身が十字架に向かう中で最後まで貫かれた生き方を表す言葉なのです。

  (4) しかし、今日のイエスの言葉をわたしたちの現実に当てはめようとしたとき、大きな困難も感じられるでしょう。わたしたちは国家間や民族間の戦争、テロ、拉致というような問題に直面しています。あるいはもっと身近なところで起きている犯罪、暴力、虐待、いじめという現実もあります。被害者がただ単に無抵抗で、それでも加害者を愛すべき、というのでは解決にならないでしょう。被害者は暴力や虐待から守られなければならないはずです。「暴力をふるう夫を、それでも妻はゆるし、耐えろ」とイエスは教えているのでしょうか。そんなはずはありません。そういう意味で、今日のイエスの言葉をどんな場面にも通用する法律や規則として、文字通り受け取ることはできないはずです。
 しかし逆に、「暴力を受けたら報復するのは当然」という考えで突き進んでいったときにも悲惨なことが起きます。暴力の問題、人と人との間にある憎しみや敵意の問題には、決して安易な解決はないと言わざるをえないでしょう。

  (5) 暴力とは人が人を支配する力です。その支配に屈することでもなく、憎しみや復讐心を抱くという形で暴力に振り回され続けるのでもなく、どうしたらその支配から解放されるのか。暴力の連鎖をいかに断ち切ることができるのか。イエスの言葉、そして十字架の死に至るイエスの生き方は、そのことをわたしたちに問いかけています。
 イエスが確信していたことは、「恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」神の愛でした。神は一人一人の人間の苦しみや痛みに深く共感され、すべての人が生きることを望まれるので、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)方なのです。そしてその神の愛を本当に知ったとき、憎しみや復讐心から解放された生き方が始まる。この福音の世界への大きな招きを本気で受け取りたいものです。




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聖書朗読箇所

第一朗読 サムエル上26・2 7-9 12-13 22-23


 2〔その日、〕サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。
 7ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士もその周りで眠っていた。8アビシャイはダビデに言った。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」9ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」
 12ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、彼らは立ち去った。見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。
 13ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。サウルの陣営との隔たりは大きかった。
 22ダビデは〔サウルに言った。〕「王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。23主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。


第二朗読 一コリント15・45-49


 45〔皆さん、〕「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。46最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。47最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。48土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。49わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。


福音朗読 ルカ6・27-38


 27〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
 37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

Posted on 2022/02/11 Fri. 13:00 [edit]

category: 2022年(主日C年)

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