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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

主の降誕・夜半のミサ(2022/12/25 ルカ2章1-14節)  


教会暦と聖書の流れ


 今年は12月25日が日曜日にあたり、主日に降誕祭を祝うことになります。主の降誕の祭日のミサには早朝や日中のミサもありますが、ここでは「夜半のミサ」の福音を取り上げます。ルカ福音書だけが伝える、イエスが誕生した夜の物語です。
 この箇所の前半(1-7節)はローマ帝国の支配に翻弄された貧しい家族の中で1人の男の子が誕生する物語で、後半(8-14節)でその幼子の誕生の意味が解き明かされます。


福音のヒント


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  (1) 1-2節で、ルカは歴史家のように皇帝や総督のことを述べますが、同時にこれは、当時の世界で圧倒的な力を持っていたローマ帝国の支配地域の片隅に生まれたこの赤ん坊こそが、実は「すべての人のメシア(王)である」という対比を印象づけようとしているのでしょう。紀元前63年ローマのポンペイウス将軍がパレスチナを占領して以来、ユダヤ、サマリア、ガリラヤなどの地方はローマ帝国の植民地になっていました。ローマ帝国は傀儡(かいらい)政権であるヘロデ王家を立て、ユダヤ人の宗教的な自由を認めつつ、住民に税金をかけることによって植民地支配の利益を得ていました。この税を徴収するために行なわれたのが「住民登録」でした。身重のマリアを連れたヨセフは、このローマ帝国の支配力に振り回されて、苦しい旅を強いられることになったのです。

  (2) 「ベツレヘム」(4節)はダビデ王の出身地で、こう預言されていた町。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(ミカ5章1節)。
 7節の「初めての子」という言葉は、後にも子どもが生まれたことを意味しているわけではありません。「長子(ちょうし)」という特別な立場を持った子どもとしてイエスが生まれたことを表しています。「飼い葉桶」はイザヤ1章3節「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない」を背景にしているとも言われます。「宿屋」と訳された言葉は「宿をとるところ」の意味で、大きな家の客間も指す言葉です。「彼らの泊まる場所がなかったからである」は、直訳では「彼らのために場所がなかったからである」です。

  (3) 「羊飼い」はイスラエルの人々にとって馴染み深い職業でした。先祖は皆、羊飼いでした。ダビデ王も若いとき羊飼いであり(サムエル上16章11節)、さらに神ご自身が羊飼いにたとえられました(詩編23など)。そういう意味で「羊飼い」をプラス・イメージで捉えることもできるでしょう。しかし、逆にマイナス・イメージもあります。イエスの時代、多くのユダヤ人は町や村に定住するようになっていました。その人々から見れば、羊飼いというのは「流れ者、野宿者」であり、罪びとと大差のない連中と思われていました。彼らも「自分のために場所がない」と感じていた人々といえるかもしれません。
 「自分のために場所がない」と感じることはとてもつらいことです。身近にそう感じている人はいるでしょうか。わたしたち自身もそう感じることがあるでしょうか。
 この羊飼いたちに、救い主誕生の知らせがもたらされます。彼らに示されたしるしは、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」というものでした。きょうの箇所を特徴づける「貧しさ」は、「貧しい人は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6章20節)という福音のメッセージにつながっています。

  (4) 「主の天使」「主の栄光」(9節)は神がそこにおられ、人間に語りかけることを表しています。羊飼いたちに告げられた天使の言葉(10-12節)のうち、「民全体」は直接には「イスラエルの民」を指す言葉ですが、ここにルカは「神の民となるすべての人」の意味を込めているようです。「大きな喜びを告げる」の「告げる」は「福音を告げる」という言葉が使われています。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」の「今日」は、ルカ福音書では特別に、「救いが実現している時である今」を意味しています(4章21節, 19章5,9節, 23章43節など参照)。

   (5) 14節「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」の「御心に適う」はギリシア語では「エウドキアeudokia」という言葉です。「エウ」は「良い」という意味で、「ドキア」は「思う」という意味の動詞から来ています。「良く思うこと=好意」が元の意味ですが、聖書の中では特別に「神がお喜びになること」を意味します。「神がお喜びになる人」「御心に適う人」とは誰のことでしょうか? 「神はすべての人に好意を向けているはずだ」と考えれば、誰かを排除する言葉ではなく、すべての人を指していると受け取ることもできるでしょう。なお「御心に適う人」は「善意の人」とも訳されてきましたが、そうすると「神のよい思い」ではなく「人間のよい思い」の意味になってしまいます。「平和」は単に争いのない状態ではなく、神の恵みに欠けることのない(それゆえ争いがない)状態を指します。ルカ19章38節では「祝福、平和、栄光」がセットになっていますが、これらは別々のことではなく、密接につながっていると考えたらよいでしょう。降誕の夜は、そのすべてに満たされる時なのです。
 貧しく無力な人々に近づくために、イエスは貧しく無力な幼子の姿で世に来られました。救い主が誕生しても、この人々の現実が変わるわけではありません。しかし、マリアとヨセフと羊飼いたちは、この幼子の中に神の救いの約束の実現を見て、喜びに満たされました。わたしたちはこの幼子の中にどんな喜びを見つけることができるでしょうか。




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 イザヤ9・1-3、5-6


1闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
3彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように折ってくださった。
5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。


第二朗読 テトス2・11-14


 11〔愛する者よ、〕実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。12その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、13また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。14キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。


福音朗読 ルカ2・1-14


1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 14「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」

Posted on 2022/12/16 Fri. 12:14 [edit]

category: 2023年(主日A年)

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