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福音のヒント

主日のミサの福音を分かち合うために

神の母聖マリア (2023/1/1 ルカ2章16-21節)  


教会暦と聖書の流れ


 1月1日は「神の母聖マリア」の祭日ですが、福音の箇所は主の降誕・夜半のミサの続きです。日本の社会ではクリスマスのデコレーションが取り払われ、お正月飾りになっていますが、教会ではクリスマスの祝いが続いているのです。大きな祝日は8日間かけて祝う伝統があり、きょうは降誕祭を締めくくる「降誕八日目」に当たります。教会はお生まれになったイエスの光の中で新年を迎えると言うこともできるでしょう。
 なお、パウロ6世教皇はこの日を「世界平和の日」と定めました。年の初めにあたって人にはそれぞれの願いがあります。しかし、人類共通の願いとしてすべての人の平和を祈るよう教会は呼びかけています。


福音のヒント


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  (1) 羊飼いたちが天使から聞いた救い主のしるしは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(ルカ2章12節)というものでした。ベツレヘムの村には他にも赤ちゃんがいたでしょう。しかし、「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」はイエス以外にいなかったはずです。イエスの時代の羊飼いは、町の人々から罪びと同様に見られ、蔑まれていました(主の降誕・夜半のミサの「福音のヒント」参照)。もし、お生まれになった救い主が、金のベッドに寝かされ、立派な宮殿のような場所にいたら羊飼いたちは近づくこともできなかったでしょう。この幼子が飼い葉桶の置かれた家畜小屋のようなところにいたからこそ近づくことができたのです。羊飼いたちの喜びは、天使のお告げどおり救い主が誕生した、というだけでなく、その救い主がこれほど自分たちの近くに来てくださった、ということだったのではないでしょうか。

  (2) 17-18節には羊飼いたちが人々にこのことを話し、人々が「不思議に思った」とあります。この人々の反応は19節のマリアの姿と対比されているようです。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と言われていて、マリアはただ不思議に思っていただけではなかったのです。「心に納める」は少年イエスがエルサレムで迷子になり、神殿で見つかる、という話の結び(ルカ2章51節)でも使われている言葉です。「記憶の中にしっかり留めておく」ことを意味します。「思い巡らす」は「しっかりとよく考える」の意味です。
 マリアは幼子イエスの誕生にまつわる出来事のすべてをしっかり記憶の中に留めました。聖霊によって宿り、ダビデの王座を受け継ぐはずの子が、家畜小屋のようなところで貧しく生まれたこと。そして最初に訪ねてきたのが当時の人々から蔑まれていた羊飼いたちだったこと。それはマリアにとっても確かに不思議なことだったでしょう。しかし、マリアはそれについて熟考し、そこに神の働きを見つけていくのです。
 エリサベトを訪問したとき、マリアは神の働きをこう賛美しました。
 「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」(ルカ1章51-53節)。
 すべての人を救う神の働きが、人間の目には不思議に見える仕方で実現していくことをマリアは初めから感じていました。その思いは我が子の十字架の死と復活を経験する時まで深められていったとも言えるでしょう。
 わたしたちも過ぎた1年のことを「心に納めて、思い巡らし」ます。良かったこと、悪かったこと。予想していたこと、予想外のこと。さまざまな出来事(たとえ悲惨なことが多かったとしても)の中に神がいてくださったと感じることができるでしょうか。

  (3) 羊飼いたちが探し当てた幼子は、病気をいやしたり、パンを増やしたり、立派な説教をしてくれるわけではありませんでした。羊飼いたちの辛く厳しい現実は何も変わりません。それでも「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20節)のです。この羊飼いたちの喜びは、わたしたちのこの現実の中に救い主が来てくださった、という喜びではないでしょうか。問題や困難な状況はなくならないかもしれません。しかし、わたしたちは神から見捨てられているのではなく、神はわたしたちとともにいてくださるのだ、という喜び。わたしの人生はただの無意味な出来事の連続ではなく、キリストがともにいてくださる人生だと感じられる喜び。マリアとヨセフと羊飼いたちを包んでいたこの小さな喜びの光が、全世界に広がり、今のわたしたちにまで届けられています。
 
  (4) 「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である」(21節)。割礼はアブラハムとの契約のしるし(創世記17章10-11節)であり、神の民の一員となるしるしです。「イエス」という名は旧約聖書では「ヨシュア」にあたり、「主は救い」「主は救う」という意味があります。
 お生まれになった幼子イエスの光の中で、わたしたちの新しい一年が始まります。この世界がどんなに多くの問題を抱えていようと、一人一人の人生がどれほど苦しみや悲しみ、困難に満ちていようと、飼い葉桶の中の幼子イエスは語りかけてきます。
 「君は一人ぼっちじゃない。ぼくが一緒にいるよ。ぼくは君たちみんなの喜び、苦しみ、悲しみを共に担うために生まれてきた。だから、だれでも安心してぼくのところに来ていいよ」「とても小さないのちだけど、ぼくは確かに生きている。未来に向かって生きている。だからあきらめずに、ぼくと一緒に歩いて行こうよ」




ダウンロードできます
「福音のヒント(PDF)」
 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。


聖書朗読箇所

第一朗読 民数記(民数記6・22-27)


22主はモーセに仰せになった。
23アロンとその子らに言いなさい。
 あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
24主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
25主が御顔を向けてあなたを照らし
   あなたに恵みを与えられるように。
26主が御顔をあなたに向けて
   あなたに平安を賜るように。
27彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。


第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)


 4〔皆さん、〕時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。7ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。


福音朗読 ルカによる福音(ルカ2・16-21)


 16〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
 21八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

Posted on 2022/12/23 Fri. 08:30 [edit]

category: 2023年(主日A年)

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