福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
年間第5主日 (2023/2/5 マタイ5章13-16節) 
教会暦と聖書の流れ
マタイ福音書5~7章のいわゆる「山上の説教」の中で、冒頭の「八つの幸い」に続く言葉です。イエスはガリラヤの丘の上で、群集と弟子たちに向けてこれらの言葉を語られました。もちろん特定の弟子だけでなく、「いろいろな病気や苦しみに悩む者」(マタイ4章24節)であった群集もこの言葉を聞いていたのです(7章28節参照)。
福音のヒント
(1) イエスは決して「地の塩になれ」「世の光になれ」とは言っていません。「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とイエスは断言しているのです。塩でない者に向かって無理して塩味を出せとか、光でない者に向かって無理して輝けというのではありません。むしろ、塩なのだから塩味を出すのは当然であり、光なのだから周囲を照らすのは当然だということでしょう。
2000年前にガリラヤの丘の上でイエスの話を聞いていた人々にとって、この言葉は信じられないような言葉だったにちがいありません。イエスの弟子と言ってもみな漁師で、「無学な普通の人」(使徒言行録4章13節)でした。周りにいた群衆は「いろいろな病気や苦しみに悩む者」(マタイ4章23節)だったのです。社会的に見ればたいして立派ではなく、多くは何の役に立たない、律法の基準からすれば罪びとに近いような人々、いてもいなくてもいいと思われていたような人々。その人々にイエスは「あなたがたは地の塩、世の光である」と言うのです。イエスは何の根拠も示しません。あなたは何ができるからとか、他の人よりもどこが優れているから、ではないのです。父である神から見れば、無条件に、あなたがたの一人一人がかけがえのない大切な塩であり、すばらしい光なのだ。これが「福音=Good News」です!
(2) 塩は食べ物に味付けをするだけでなく、腐敗を防ぐ役割も持つ大切なものだと受け取ればよいでしょう。「塩に塩気がなくなる」とはどういうことでしょうか。当時の塩は精製が不十分で、腐敗してダメになってしまうことがあった、とも言われます。しかしやはり本来、塩が塩でなくなることはありえない、と考えたらよいのでしょう。13節のイエスの言葉は「塩が塩味を失うことはないはずだ」ということを強調しているようです。
「山の上にある町」(14節)は、天のエルサレム、終末的な神の都のイメージかもしれません(黙示録21章1節~22章5節参照)。「エルサレム」と言っても、現実のある地名のことではなく、救いの完成の状態を表す象徴的な表現です。それは、神と人とが一つに結ばれ、人と人とが愛によって結ばれる状態です。それはわたしたちの社会の現実とはあまりにも程遠いと感じられるでしょうか。確かに、現実にはどこにもそんな町は見えません。今は信仰の目をとおしてしか見えないと言ってもよいでしょう。しかし、「山の上にある町は隠れることができない」いつか必ず現れる、それが聖書の希望です。旧約では、イザヤ2章1-5節でこのような希望が語られています。
(3) 16節の「立派な」は元のギリシア語では「カロスkalos」で、普通は「良い」と訳される言葉です。これは「美しい」とか「役に立つ」という意味での実際的な「良さ」を表す言葉です。ちなみにヨハネ福音書10章11,14節の「わたしは良い羊飼いである」の「良い」も同じ言葉です。「あなたがたは光だ」というメッセージを本気で受け取ったときから、わたしたちの人生は輝き始めます。わたしたちの言葉と行動が、何かしら違ったものになります。これが「良い行い」です。神がわたしたちを光としてくださったからこそ、それが可能になります。だから、「良い行い」で「あがめられる」(直訳では「栄光を与えられる」)のは、その行いをした人間ではなく「天の父」なのです。こんなふうに、自分にではなく神に栄光が帰される喜びを感じる体験がわたしたちにもあるでしょうか。
(4) 山上の説教にはたくさんの命令があります。イエスは神のみ心にかなうことがなんであるかをはっきりと示しています。その中には非常に厳しく、人間には実行困難と感じられるようなものも少なくありません。敵を愛しなさい、情欲をもって女を見てはいけない、一切誓ってはならない、などなど。しかし、だからこそ、そのすべてに先立って「福音」があることは大切です。この福音は「八つの幸い」の中では「天の国(バシレイアbasileia)はあなたがたのものである」ということ、すなわち「神は決してあなたがたを見捨ててはいない。神は王(バシレウスbasileus)としてあなたがたを救ってくださる」ということでした。きょうの箇所もまさに「福音」として受け取るべき箇所です。
山上の説教を読むとき、あらゆる掟や命令の前に、次の言葉を補って読んでみるとよいでしょう。「神はあなたを愛してくださっている。だから~」「神はあなたを地の塩、世の光と見ていてくださる。だから~」「あなたはもうゆるされて、神の子とされているのだ。だから~」
(5) わたしたちは「あなたがたは地の塩である」「世の光である」というイエスの福音を本気で受け取ることができるでしょうか。
おまえはダメだ」「おまえなんかいてもいなくてもいい」「おまえがどうなろうが知らない」そういうメッセージが、わたしたちの社会の中で、職場や学校で、もしかしたら夫婦や親子の間でさえ飛び交っている現実があります。そんな現実の中、わたしたちの周りの、どれほど多くの人が「あなたがたは地の塩、世の光である」というメッセージを必要としているでしょうか。
イエスは2000年前の人々にどうやってこのメッセージを伝えたのでしょうか。一人一人の人間に共感の目を注いで近寄り、その貧しさや苦しみを共に荷ない、その人の中に素晴らしい輝きと立ち上がる力があることを信じ、あなたは本当に神の子であり、わたしの兄弟姉妹だと語りかけていったイエスの姿を、わたしたちは福音書をとおして知っています。では、わたしたちはどうやってイエスの福音を誰かに伝えることができるでしょうか。
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「福音のヒント(PDF)」 ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
第一朗読 イザヤ58・7-10
7〔主は言われる。わたしの選ぶ断食とは〕
飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。
8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で
あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し
主の栄光があなたのしんがりを守る。
9あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば
「わたしはここにいる」と言われる。
軛を負わすこと、指をさすこと
呪いの言葉をはくことを
あなたの中から取り去るなら
10飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出で
あなたを包む闇は、真昼のようになる。
第二朗読 一コリント2・1-5
1兄弟たち、わたし〔は〕そちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
2なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
3そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。4わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 5
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
福音朗読 マタイ5・13-16
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
Posted on 2023/01/27 Fri. 10:41 [edit]
category: 2023年(主日A年)
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