福音のヒント
主日のミサの福音を分かち合うために
四旬節第4主日 (2023/3/19 ヨハネ9章1-41節) 
教会暦と聖書の流れ
3年周期の主日のミサの朗読配分でA年にあたる今年の四旬節第3~第5主日には、洗礼志願者のための伝統的な朗読箇所として、ヨハネ福音書の4章、9章、11章が読まれます。これらの箇所は、洗礼志願者がイエスとの出会いを深め、信仰の決断をするのを助けるために選ばれた箇所です。きょうの箇所はその2番目で、生まれながら目の見えなかった人がイエスとの出会いによって「闇から光へ」と移される物語です(なお、今回も『聖書と典礼』の短い形ではなく、伝統的な長い形に基づいて話を進めます)。
福音のヒント
(1) イエスが地上で活動していた時からヨハネ福音書が書かれるまでには長い年月がかかっています。ヨハネ福音書の物語を、実際に起こった出来事をそのまま伝える記録と読むには難しい面があります。たとえば、「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」(22節)というのはイエスの地上での活動中のことではなく、福音書が書かれた1世紀末の状況を反映した記述だと考えられています。ただし、この物語の核には、イエスと出会った人の真実の体験があると思って読むと良いでしょう。
(2) 当時の社会には「病気や障害は罪の結果である」という考えがありました。それは普通、本人の罪の結果と考えられましたが、この人は「生まれつき目が見えない」ので「それでは両親の罪の結果なのだろうか」と弟子たちは考えたわけです。しかし、イエスは個々の人の罪とその人の病気や障害の関係をはっきり否定しています。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」(3節)。そして「神の業がこの人に現れるためである」と言われます。「ため」と言いますが、イエスは原因や目的を述べて目の前の現象を説明しようとするのではなく、これから起こる出来事のほうに人々の目を向けさせます。イエスの関心は「今、神はこの人に何をなさろうとしておられるか、自分はこの人に何をすることができるか、どう関わるべきか」というところにあるのです。
目の前の人が苦しんでいるとき、その苦しみについて自分が納得できる説明を見つけて傍観者のままでいるのか、それとも、この目の前の人にかかわり、その苦しみを共に担おうとするのか、わたしたちもイエスから問われているのではないでしょうか。
「シロアム」は「遣わされた者」の意味だと、ヨハネ福音書は解説しています。イエスが神から「遣わされた者」としていやしを行うことを暗示しているのでしょうか(4節)。あるいは、いやされた人が「遣わされた者」になっていくことを暗示しているのでしょうか(この人は物語の展開の中で、次第に力強くイエスを証言する人になっていきます)。
(3) ファリサイ派は熱心に神に仕えようとしていました。そのために律法を解釈し、事細かに守ろうと努力していました。イエスは安息日に泥をこねてこの視覚障害者をいやしましたが、ファリサイ派の考えでは、これが律法違反の労働にあたりました。そして、彼らの考えでは安息日の律法を守らないような人間は、間違いなく罪びとでした。しかし、罪びとがこのような「しるし」(奇跡)を行うことはできないとも考えられていました(16節)。頭で理解し、納得しようとしてもうまくいきません(それは生まれつき目が見えないのは本人のせいか、両親のせいか、と頭で考えて納得しようとした弟子たちの戸惑いとも似たところがあります)。自分たちが納得するために彼らがとった方法は、イエスによるいやしの事実を否定する、ということでした。この事実が否定されれば、イエスは罪びとだということが確定すると考えたわけです。
宗教に熱心な人の落とし穴がここにあります。教えられたこと、信じていることに忠実であろうとするあまり、目の前の人間の生きている現実が見えなくなるのです。
イエスはファリサイ派の罪を指摘します。39節の「見える」「見えない」には、肉体的な視力のことと、イエスを理解するか否かということの両方の意味が掛け合わされています。「自分たちは何もかも理解している、見えている、分かっている」そう思いこんでいることが彼らの罪だというのです。「罪」とは根本的に神から離れることです。彼らは自分たちの確信を守るために、目の前で起こっている神のわざを否定して、生きた神とのつながりを見失ってしまったのです。
(4) 一方、いやされた人にとって、自分の身に起こった出来事だけは決して否定できないことでした。たとえ彼の両親がそのことを知らないと言っても、彼には否定できません。なぜならそれは彼自身の体験だったからです。彼は、自分の意見を述べているのではなく、自分が体験し、それによって自分が救われた、その事実を証言するのです。
いやされた人はイエスに泥を塗られ、シロアムの池に行って見えるようになったのですから、実はイエスの姿を見ていませんでした。物語の最後に、この人はイエスに出会い、はっきりとイエスを見て、信じるようになります(38節)が、それまで、この人にはイエスについての「知識」がほとんどありませんでした。イエスがどこにいるかと問われて「知りません」(12節)と答えます。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません」(25節)とも言います。「ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」これだけが彼の知っていることでした。「イエスを知る」とは、イエスについての知識の問題ではなく、自分が変えられた体験をとおして知ることなのです。
「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」(34節)と言われれば、わたしたちも「そのとおりです」と言うしかないでしょう。しかしイエスに出会って自分が変えられたのならば、そのことを証言せずにはいられないのです。イエスに出会ってわたしはどう変えられたのか。少しでも人を愛せるようになった? 解決できない問題を神にゆだねることができるようになった? 絶望的な状況の中でも、今自分にできる最善のことは何かと考えられるようになった? そういうことを分かち合えたらどんなに素晴らしいことでしょう。
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第一朗読 サムエル上16・1b、6-7、10-13a
〔その日、主はサムエルに言われた。〕1b「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」
6彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。7しかし、主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
10エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」11サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」12エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」13aサムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。
第二朗読 エフェソ5・8-14
8〔皆さん、〕あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。9——光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。—— 10何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。11実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。12彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。13しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。14明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
福音朗読 ヨハネ9・1-41
1〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。6イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」3イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。4わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。5わたしは、世にいる間、世の光である。」6こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。7そして、「シロアム——『遣わされた者』という意味——の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。8近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。9「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。10そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、11彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
12人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
13人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。14イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。15そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」16ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。17そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。18それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、19尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」20両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。21しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。23両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
Posted on 2023/03/10 Fri. 09:04 [edit]
category: 2023年(主日A年)
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